民のかまどはにぎはひにけり

見えないものの検証と、庶民のつぶやき(不定期更新)

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抱き茗荷

Author:抱き茗荷
意識の働きや自身のルーツ探しを課題としています。

つぶやき

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酉の歳 来たるはサギか フクロウか

久しぶりの更新です。
(今年から文章を敬体に変更します)

自らも久々にブログを開きましたが、更新していないにも関わらず閲覧しに来ている方がおられたようで有難い限りです。

昨年は転職後の為、遊びも控え仕事に集中しておりました。
まあ中年期に転職というのは大変なもので、新しモノを取り込むのに一苦労です。歳のせいか被曝のせいかは定かではありませんが物忘れがヒドイ…、明らかに若いころと違う頭の回転に溜息を吐きまくってる日々であります。

ただ、新しい事に取り組むというのは自分自身に新しい息吹を吹き込み、それはまるで寒風に身を晒し目を覚ますような感覚で心地よさを感じます。

新しい息吹といえば、数年ぶりによくテレビを見る様になったのですが、その中でも経済・芸能分野に権力構造が変化しているように感じましたね。それを感じたのは以下の項目…

電通やその他ブラック企業の労働基準法違反の件をマスコミが頻繁に報道するようになった事
東芝粉飾決算
紅白常連の一部排除
フジテレビの凋落

まあ何があったかは素人なんでようわかりませんが、うっすら理解出来るのがヤリ玉に上がったトコは金が無くなったんでしょうな。
マスコミなんてモンはスポンサーになるかならないかで企業を「申告漏れ」にするか「脱税」にするか決める力を持っていますから。
今マスコミは広告料収入が相当減ってきてるらしいので、金くれたら報道止めるよと言う事でしょう。

とはいうものの、どうやらそれだけではないような感じです。
現在カジノ法案が進行していますが、恐らくこの胴元が強いんでしょう、まるで半島勢力を排除し消費性向者をパチンコからカジノへと誘導する為の下準備のように視えます。

以上下衆の勘繰りかもしれませんが、世の中はいまだゼニが基準で動いているのは確かなようです。
最近ではビットコインやFXなるものが出回っているようですが、こんなものに飛びつく者・飛び付かせる者は次元が知れております。

本来貨幣は労働の対価として得、物々交換の煩わしさを無くすために使うのが一般庶民の用途としては理想だと思うのですが、金から金を産もうなどというのは心の貧乏人を利用した資本家のゲームであります。資本主義とは資本家にゼニが集まる仕組みです、力士相手に素人が土俵に上がって勝てるわけが無い。

ゼニはあとからついてくるものです。
ゼニに敵うもの、それは知恵です。そしてその知恵から生まれた技術とモノ(またはサービス)でしょう。
武力は財力に屈しますが、財力は知力に、そして知力は武力に弱いのは昔から変わりません。ゼニが幅を利かしているのであれば知力を駆使し生き抜く事が求められます。あとはその知を必要以上に働かせなければ角も立たぬというもんでしょう。

しかしながら、これらを駆使する事が出来るのは健康あればこそ、被曝リスクは相変わらず継続中ですが、免疫を下げる事の無い様楽しく笑って過ごしていきましょう!

※下は我が家の注連縄、福の神さん待っちょりますゾ♪

笑門

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視聴覚の休息

陰陽自然学の開祖、飯田亨氏の2004年~2013年の動向を予測した「地球核力激震10年(初版2006年)」という本をかつて購入していたのだが、変な霊能力者より的中率が高い。時期がずれているのもあるが動向はほぼ当たっている。
※2011年の核事故も的中

その中で直近の動向でハマっていたのが以下の予測。

EU分裂

この組織の分裂解体は国家間に限らず、恐らく大企業や宗教に於いても今後働くものと思われる。
しかしながら、この力は人によるものではなく、本のタイトル通り地球の意思にて働くものと思われ、熊本地震に秘められたメッセージ Part2に書かれてある通り、黄泉の入口はひらきっぱなしであり、冥界の王プルート(イザナミ)はいまだフクイチより誘いをかけてきている。

あと今後だが、傾向としてはテレビ・新聞に顕著に出てきている以下の予測。

視聴覚の休息

注目は視聴覚の休息。これは既存メディアに限らず、ネット、特にSNSに顕著に出始めるだろう。
自己顕示や有名人と繋がる事による特権意識、“リア充”アピールといった日常に必要のないものへの疲労感が最近特に見てとれる。日常体験をSNSにアップする為に行うようでは本当の感動など見つけられない事、こんな当たり前の事に漸く気づき始めてきた方達(特に若年層)のSNS離れ(特にfacebook)が加速しているように思う。

私自身はというと、放射能でやがて穢れ滅びゆくこの国土を近所のアブラゼミが元気の良いうちは満喫するつもりだ。
なのでネットも利用するサイトやブログはごくわずか、今は遊びと仕事に専念している。
このブログを立ち上げた目的であるルーツの探求は、その体験の中にもヒントや答えがあるのでアンテナを張っておけば入ってくる。

この現世を満喫・体験し感動する為に今の肉体に宿った自分の魂、視聴覚だけしか働かせないのはまこと勿体無い事であると感じる。

世界最強の聖地

若い時分は用事や作業が済んで家に帰るなり『ちょっと一服するか』と居間に座りテレビをつける習慣があった。本日は連休最終日という事もありゆっくり過ごすわけだが、午前中に用事を済ませ「たまにはテレビでもゆっくり眺めてみるか」とつけてはみたが、やはり面白くないどころか、むしろ有害指定してもよいレベルまでに落ちていた。
これは恐らく毎日視聴している方には気づかないのだろうな、とテレビ漬けになっている人を案ずるところまできてしまっている。

新聞も見ずこんな状態なので、私は現在の時事問題はあまり詳しくない。
しかしながら、ネットのお気に入りやツィッターのフォローしている方々から深層を掘り下げた情報が逐一入ってくるので非常に助かっていると共に、有害メディアに目を通す事もないので気分を害す事がそう多くない。

が、ネットを眺めているうちに前々から気にしている事が現実となり始めたツィートが入ってきた。



東海のアマちゃんのリツィートが飛び込んできた(私はフォローしていない、地震が来る事を望んでいるようにしか見えないから)
ついに神道の中に入り込んだもののけが正体を顕した。随分と拙速である。

上記の「これからは寺を回る」「もうお賽銭しない」 というのは金で神仏を動かそうとする勝手気儘な方の浅はかな主張なのでどうでもよい。
問題は改憲を進めようとする神道勢力の中身が何であり、目的は何かという事だ。

勿論、今日本という国家は戦争がしたくてウズウズしているので、軍産複合体の傀儡団体「日本会議」を主体として利用し、愛国を標榜し“私達日本大好き”PRに意を削いでいる。(本当は「日本“対策”会議」じゃないのかい?)

この拙速ともとれる自称愛国者だかは何を焦っているのか?というのは以下のリンクにヒントがいっぱい散りばめられている。

低下低下=てげてげ

さて、時として上記のように政争の具として利用される宗教だが、神道は本来宗教ではなく、名の通り『道』だ。神道にはまつろうだけなら教義はなく、あれはダメ、あれはこうすべき、といったものはない。人として最低限の所作さえあれば賽銭を入れなくても誰も咎めない。

宗教と言える神道とは、信仰心を手段とし思想を植え付け上納金を吸い上げる仕組みがあるところだ。
そして他にも現在神道最高の聖地扱いされている伊勢とアマテラスオホミノカミの位置の考え方、この位置は4次元的な意味とは異なる。これを心の中心に据えれば宗教に成り替わる。

それならば、世界最強の神、世界最強のパワースポットはどこか?

答えは「人の数だけある」が正解。
その神、そのパワースポットとは自分であり自宅にあるさらに重要なのは参拝の順序、これがキモだ。何かを決意・実行・完成させようとするとなると教義ではないが順序が発生する。料理やモノづくりと同じだ。

以下に神道を例に挙げた手順を記す。私は他の宗教や信条はよくわからないが、正の順序はみな以下に共通すると思う。

① 最強の聖地「自宅」を宮とし、家族と共に清める事、これは儀式を行うという事では無い。きれいに保つだけの話。塩を撒いたり幣を振り回すのは一番最後だし別にしなければならない事はない。
② ご先祖様にご挨拶。
③ 産土神や氏神へ参拝。
④ 自分が好きだと感じた聖地に行く。勿論これは別に神社仏閣とは限らない。

※科学的根拠は不明、実践・実証による。よって唯物論者は信じるに値しない。

多くの人は自らの信じた聖地へ神様に逢い祈りに行くのが目的だろう。
しかし、私幣禁断、自らの決意表明する場とし上記の手順を守らなければ神に逢う事はない(違えればむしろ状況が悪化する)。そしてその神様とは個別の人格では無いという事を理解しなければならない。たぶん神様というイメージでみんなパッと頭に浮かぶのは以下の様な感じではなかろうか?

kamisama.png

勿論こんな人出てこない(笑)

神様とは偶然性の高いところに及ぶ力そのもの、例えば人との出会いがそれに当たる。どんな人と出会ったかで人の人生は大きく変わる。努力もしないで得た泡銭なんかもそうだ(これは自分に使うと金額相当のしっぺ返しを食らう)。

今我が国は、家族や親族、ご先祖を蔑ろにし愛国心から事を始めようとしている。これを良しとする者はそのまま行けばいいが、全てはその者に帰ってくる事、自分の蒔いた種は自ら刈り取るだけである。

いろいろ書いたが、神社や神道の評判はどうでもいいが無くしてはならない。どんな都会の喧騒にも侵されない聖域がなければその地域は息が詰まる、そんな意味でも浄化の機能を果たしている。鎮守の杜には何の罪もなく、穢れを呼ぶのはいつも人である。そんな人と自然の真ん中にあり、両者を和える役割を担っている神社はとても大切な存在でありなくしてはならないと強く感じるのだ。

標準化の罠に嵌まった大企業

約3か月ぶりの書き込みだ。

この間私は一体何をしていたかというと、自分が抱える仕事をさばきにかかっていたのである。なぜそんなに急いでいたかというと、今勤めている会社を退職する準備を進めていたのだ。

昨年の暮れに「この世から“去る”歳にならないようにせねば…。」と書きこんだのだが、会社から去る歳となったわけなのだ。
ちなみに、12年前の申年も私は別の会社を去った。どうやら申年は自らにとって節目の歳であることが数十年生きて知る事が出来た。

私の勤め先は最近業績が大変よく、この不景気に営業利益は昨年の倍、給料や賞与もグングン上がり、私自身も現在相当な額をいただいている。子会社だが、世界的にも名の売れた企業の子会社なので、恐らく、このまま定年まで勤めれば老後は安泰、孫にも躊躇なくお年玉をあげる事が出来るお爺ちゃんになる事が確定だ。

しかしながら、私の内なる何かはそれを許さなかった。

企業というものは、その規模や組織が大きくなればなるほど人間の制御・統率出来る域を超える。それは国家も同様だ。
そうはいうものの、支配者にはそれをやり遂げる事が求められるし、やり遂げる事がその者達の名誉となる性質があるのでそこに全力を注ぐ。

そこで、必要となるものが「ルール」「標準」「規則」といった統一化(法)したものを手段として用いる。

万物には全てのものに波やバラツキがある。
大きく分けると、人・手法・素材・道具などといったもの全てにそれがある。それら全てにルールを決めバラツキを無くす事を俗に「標準化」とか「スタンダード」という。

道路交通法で言うと、

人…視覚や聴覚、飲酒や麻薬などへの制限
手法…免許制
素材…道路や標識
道具…車検に通る車両

これらを統一する事で、あれだけ多く走っている車がぶつかることなく道路を走れているは多くの人が理解出来るところだ。
そのなかで、唯一法で制限出来ないのが人の気分であり、事故の原因のほとんどはそれであると思う。
車を使う理由は3種類、空間移動時間の短縮、疲労を最小限に抑える事、そして自己顕示のどれかであろう。これを達成する為に人は法を破る事がある為事故が無くなる事はない。

それらのバラツキをなくすには、自動化・固定化・標準化が求められる。簡単に言うとロボットになれという事だ。
プログラム通りに行動せよ、と。
ここに知恵も個性も存在しない。私の内なる何かはそれを良しとしなかったようだ。

知恵が存在しないという事は新しいものは生まれない。
そんな中、残念なニュースが舞い込んだ。

クルマ開発、手仕事の先へ 熟練の成功例を数式で一般化

(以下引用)
 熟練技術者の手仕事に頼ってきた自動車の開発が、大きく変わりつつある。人間による過去の成功例をデータ化し、コンピューター上で主要部品の試作や評価などをこなす。これで浮いた人員や開発費は、次世代エコカーなどの先端研究にまわす。

 2万~3万点の部品でできる自動車の開発は、細分化されたノウハウを持つ技術者たちによる「あうんの呼吸」と、何度も相談を重ねて知恵を絞る「すり合わせ」に頼ってきた

 例えば「低燃費」と「力強い加速」といった相反する性能を両立させるには、何度もエンジンなどの試作機をつくって評価を重ねる。うまくいっても、試作車に載せて想定通りの結果が出なければ、また、前の工程にさかのぼって同じことを繰り返す。

 ただ、車やエンジンの種類は増え、以前より時間もお金も人手もかかるようになった。「エンジン制御だけでも、この10年で10倍は複雑になった。技術者の経験値をもとに試行錯誤するやり方はもう限界」。ホンダ開発部門の大津啓司常務執行役員は語る。

 そのためホンダは、開発の「上流」にあたる設計ではすでに多用されているコンピューター上のシミュレーションを、「下流」の主要部品の試作や試作機の評価などにも広げる「モデルベース開発(MBD)」を本格導入する。

 まず、すり合わせで培った過去の開発の「成功事例」を集めたデータベースをつくる。成功事例は数式にして一般化し、目標とする性能値を入れれば精度の高い設計図が得られたり、確度の高い仮想評価ができたりするイメージだ。


(引用ここまで)

思い上がりも机上の空論もいいとこだ。上記下線部の「成功事例」は手仕事により作られたのに、これからどのように事例を作るというのだろうか。
私は以下のツィートに共感する。



常に新しい知恵を出し続ける姿勢とモノづくりに喜びを感じさせてくれるホンダの姿勢が私は好きだった。
しかし、上記の方針はそれを覆すものであり、現在のF1の不振の原因も恐らくそれだろう。

なんでも数値に出来るというのは確かであるが、それはやった後の結果が数値になっているのだ。
やってもいないことに数値を付ける事は出来ない。それをやろうとするところに人としての尊厳がある事を、特に若い世代には理解してほしい。理解できないのであれば以下の動画を参照していただきたい。

へら絞り



きさげ加工



切削加工


薬漬けにつけるクスリ

病院好き・薬好きは、自分自身が固定した存在と勘違いしているところに誤りがある。

クスリ大好き!


病気のたびに自らの体に投与しているものにも注目していただきたい。化学物質投与を続け、病原菌の力を削ぐやり方だ。(対症療法っていうヤツだったか…)
また自分自身は何も変わっていない為、また同じ病気を繰り返す可能性も秘めている。

しかし本来の健康維持とは、以下の思考である事は3.11後の約5年間自らが実践して確証を得た。

本来の健康維持

投与している図はヨーグルトを示している。これは飯山一郎さんが提唱している豆乳ヨーグルトを一例としてあげさせてもらったものだ。これに限らず免疫をあげるものはたくさんあるし、わざわざ実費と健康保険を使って得体の知れない化学物質を体に入れる必要はないのだ。(ちなみにこの図はメンタルヘルスにも応用できる)
またグラフの波は最初のものと合わせているが、実際は免疫の対策をしていくわけだから続ける事によって強の側へ向かっていくので病気から遠ざかっていく。

免疫強化推移

ガンが進行するとよく『末期ガン』という言葉が使われるが、本質は『免疫力末期』だろうと。インフルエンザだってマスクしてうがい手洗いしていても罹る人は罹る、免疫が弱っているのだから。
これを理解されている方は、免疫が保たれるような生活をしている為上記グラフでいう青い範囲に留まれているので、どんな菌が流行ろうと恐怖に慄く事はないわけだ。


結論として、病気の原因は心身共に自分自身にあり、それらは自責他責をともなうものではないということだ。

問題が起きたら自省し問題解決へ向けてただ前に進むだけでいいだけの話、これに必要なのは『すぐやろう!』という実行力だけでよく、知識はさほど必要ではない。

人間は変動する生き物だという事がわかればその環境に合わせる事。競馬の騎手の足のように馬の動きに合わせ足の関節を柔軟にし力を吸収するような生き方が大切ではないかと想う。

昭和ノスタルジー

テレビやラジオにどっぷり浸かりきっていた昭和生まれの方達は、その番組のオープニングBGMに当時の情景を思いだすのではないだろうか。車でラジオなんて聴いていると時折昔のそのBGMに巡り合い昭和のノスタルジーに浸る時がある。

最近でいうと、亀さんのブログに懐かしきラジオがUPされており、しばし聴きいってしまった。




これを聴いていた頃私はまだ学生で、オールナイトニッポンを2時間聴き通した後、この「いすゞ 歌うヘッドライトOP」を聴きながらラジオつけっぱなしで寝ていたものだ。




このAMのかすれた音質は昭和の代表といっても過言ではないとおもう。なぜなら平成に入り急速にFM放送局が普及しはじめたからだ。

AMはDJの話が主流だったが、FMは音質の良さが際立った事もあり音楽がメインだったように思う。
その音質の良さを一番感じとれたのが(やはり深夜番組だが)長寿番組のジェットストリームではないだろうか?

城達也の渋い声でキザな台詞から始まるこのプログラムは、非日常的な空間を脳内で味わうにはうってつけであった。




こんなにも昔に惹かれるのはなぜだろうか?汚れきってしまった今を浄化しようとしているのか?きっと魂を過去に戻し、我が国の時間軸さえも穢れ薄き頃に戻そうとしているに違いない。

一見これは逃避行動のように思われるかもしれないが、心が洗浄を求めているだけだと思う。現実を見れば我が国に希望というものはほぼないに等しい。物質に於いても手に入れても虚無に帰すものでしかない。

しかし魂や想像は自由であり、時間制限はないものだ。

さあ、これから昔懐かしいテレビ番組OPでも探してみるか…。

※昭和感あふれるニュースのOP





Un Happy New Year?

あけましておめでとうございます、と素直に言えない。
なぜなら今年は福島原子力発電所が爆発して丸5年を迎えるからだ。

ここに来られる方はもうご存知かと思うが、旧ソ連時代、チェルノブイリ原子力発電所が核爆発を起こしそれが人体に影響を及ぼし顕現し始めたのが約5年後だ。

それが原因でこれからの日本人は生き方が何通りかに分離し、それぞれが違う次元に向かい、その次元は余程の事が無い限り交わる事は無いと思う。

自分とは異次元に向かわれた方を諭そうが何しようがもう手遅れだ。5年間何もせず何事にも気づかず無関心のまま過ごされた方、または恐れに正面から立ち向かわなかった者に施す薬はないに等しい。

私自身は上記のような方達を否定する気は毛頭ないし馬鹿にするつもりもない。
それはその次元の者達の生き方であり、長生きよりも太く短く楽しく生きる次元があってもいいからだ。眉間にしわ寄せながら長生きしたくない方もきっといるだろう。でも、調子が悪くなってから『聞いてないぞ!』なんて言った日にゃこっちは知ったこっちゃないヨw

これからの混沌とした時代を帆をあげて悠然と進んでいくには、自分自身のいまを結果としてとらえ受け入れる事が重要だ。この心を作るには自力本願独立自尊に尽きる。依存する者は必ず裏切られるという事を分かっていれば憤慨する事もないでのだろうが、外部に期待する者がここまでの強さを持っている事は稀だと思う。

これから多くの方達が混沌や異変に気付く事だろう。そして自分自身にも禍事に見舞われる確率は上がっていくと思われる。そうなったときの二段三段の構えをしておかなければこれからの世をくぐりぬけていく事は出来ない。自力を心身共に付ける事が大切だ。

サバイバルは物的なものだけではなく心にも構えが必要な時代に入る。覚悟を決めれば後は笑って過ごせばよい…と自分に言い聞かせて年始の挨拶としたい。

異形の王権

ブログ「人生は冥土までの暇潰し」の亀さんから先回の記事に対するコメントをいただいて異形の王権という本を薦められたので早速取り寄せようとamazonを見ていた。

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著者の網野善彦 氏の他の著書を眺めていたところ、中世の非人と遊女というのが妙に気になり、レビューを見てみると大変興味深いコメントが寄せられていたので引用させていただくことにした。

以下引用

この1冊を通して漠然と知ったのは、そういった人々が実は「穢れを払う」立場にいたこと。また、やはり定住せずに遍歴して生業を営んでいたこと。その場合、滞在するところは河原などの「無所有」の場。そういったところは「聖なる場所」と見なされていた、と言う。そして、穢れを払う彼らは、聖なる存在として認識されていたとも言う。そして同時に、それゆえに畏れられていたと言う。このことが聖別となり、後の差別に変わっていった要因のようだ。しかし、穢れを清める立場にいたが故にそれが畏れの対象となり、次第に忌避、排除の対象となっていくというのは悲しい話だ。

古代国家の制度が崩壊し始め、それらに変わる新たな時代が到来しつつあった時期に、職能集団としての彼らが誕生し、一時期は時の権力者によって制度的に組み込まれていたのは確かなようだ。それが鎌倉時代末から南北朝時代に入り、大きくなっていく過程で職能分化していった。分化した中で対立が起こり、穢れを忌避する観念が社会に浸透し、賤視・差別へと結びついていったと言う。あまりにも奥深い問題で、私には表面的なとらえ方しかできなかった…。


引用ここまで

審神・祓いの分野に興味のある私は、こちらにも大いにそそられた。
特に祓いとは、忌み嫌うとこでありながら人の避けられない業であるからだ。それは現代に於いては“不”の称号が与えられるものばかりであり負のイメージに覆われている部分である。
この業と向き合い和解するところに生きている意味さえ感じてしまうのだ。

非人や遊女の生きざまを普段の生活から窺い知れる事は今の世ではなかなかできない。
この隠れた部分に我が国の真実の一部が隠されていると私の尊敬する方々は一様に言う。

来年はここに焦点を当てていこう。

世の中が世の中だ。まずは健康第一、元気が無ければ本も読めない。
この世から“去る”歳にならないようにせねば…。

海洋民族に想いを馳せる

世の中どんな大学に行こうが、高度な勉強をしようが解決できない不思議な事があるものだと以下の画像を見て思う。
相似象
地名は私が付けたのだが、あっているかどうかなんて誰もわからない。
まあ、今日は波も無かったので暇潰しに作成、私が通う伊良湖の海は冬になると北西の風が波を抑え海が静かになるのだ。

その伊良湖だが、渥美半島先端に伊良湖神社というのがある。

伊良湖神社

由緒書き

由緒書きを見ると、伊良久大明神(いらくだいみょうじん)と書かれてある。
そこで先程の世界地図を見ていただいてもらうとわかるが、愛知県はイラクに位置しているわけで、「これは偶然か?!」と考えさせられたが、これについては解く事をひとまず諦める事にした。

それよりも、気になったのは元旦の「ごせんだら祭」である。以下、田原市観光ガイドより引用。

ルーツは海洋民族の儀式?

 大晦日から元日の早朝にかけて、伊良湖神社の境内で行われる火祭り。人々は、昔からこの祭に豊漁や無病息災などを祈ってきました。古くから伊勢・三河の海を駆け回っていた阿曇(あづみ)氏、海部(あまべ)氏といった海洋民族の原始的な儀式がルーツではないかといわれています。「せんだら」というのは、サンスクリット語で「南方印度(天竺)の賎民」を意味するといわれ、祭の名前からも、潮風にのり海を越えてやってきた海洋民族の名残を感じることができます。


せんだらとは「旃陀羅」と書き、日本の中世の一時期、被差別民にたいする呼称として使われていた語との事。
かつて、我が国の民族のルーツについて、さる筋より「被差別部落を知らねば解く事は出来ない」と聞いた記憶があるし、落合莞爾さんの本にも似たような事が書いてたかのように思うが、未だ整理がついていないのが現状だ。

今後の課題にしていこう。

<賎民についての参考文献>

喜田貞吉「賤民概説」
(青空文庫ボランティアの方々に敬意を表します)


民のかまどより公を想ふ その7

以上長々と公の事について述べさせてもらった。

半分以上は主観で記したものであり、真実を探りに来た方にはいささか物足りないものであったに違いない。舎人の方々、他関係者から聞いている『真実』については到底ネットで公に出来るものではないし、私自身が当事者でないのでそれを真実だと伝える事は差し控えたい。

それらは短期的に考えれば皇室を悪と捉える事も出来るしその逆もある。ただし、生まれてきて学校教育やマスメディアに刷り込まれた脳味噌の構造を完全に除去されてでもいない限り、その深奥の世界の隅を箸で突く様な事は公の場ではしない方がよい。せいぜい私の様に自分だけの土俵でひとり相撲を取るのがいいかと思う。

そんな大した事も知らない私が天皇陛下をなぜ誇りに思うか?
滅多な事では言挙げしない天皇陛下だが、私自身は所作や行動、実践でしか人を見ない。
言葉や文章というものは、その殆どが自らが抱えるコンプレックスや弱点を補う為に用いる手段であり信頼性は薄い。

今や嘘を振りまき官邸の犬となりつつあるマスメディアだが、画面に映った現象は嘘をつけない。その画面に映った政体と国体の違いを比較してみよう。

まずはゆるキャラなみの頭身でご登場の政体

実害を防止しながら風評被害を防止

次は、福島も体もアンダーコントロールに問題を持つ政体

実害を防止しながら風評被害を防止2

次は、捨て身の風評払拭



お次は国体側の仮設住宅訪問

仮設住宅にて民とのふれあい

避難所にて

避難所にて

天皇皇后両陛下の国民との距離、いつ暴漢に襲われるかわからないにも関わらず警護を両端に置かず、丸腰で民と同じ目線で接する御姿に何の嘘も感じない。

かたや政体側、「首相 福島 視察」で検索してみればわかる筈、相手出来るのは官ばかり。
そりゃそうだ、民を見捨てる政治しかやっていないのだから民の眼を正面から見られるわけがない。暴言でも吐かれればイメージダウンにもつながる(もうダウンしてるか…)

国体を護持すべく、皇室は今盛んに行動している。
ただ皇室は強要しないし支配もしない。選択肢は全て民の側にある。天皇陛下という存在をどう見るかがその人そのものだ。頂点に君臨する存在ではなく、魂の中にあるといってよい。だから本籍であると前項で述べさせていただいたわけである。

天皇陛下は人に違いないが、御神体の鏡と同じであるといっても過言ではない。そしてその存在をどう見るかがその人そのものであるわけだから公民一体なのだ。

私はこの考えを押し付けるつもりはないが、国体潰しの総仕上げが始まっているわが国を憂うが為、問題提起を含めつらつらと書かせてもらった。

以上、駄文ではありましたが、最後まで読んでいただいた方、有難うございます。

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