民のかまどはにぎはひにけり

見えないものの検証と、庶民のつぶやき(不定期更新)

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自己紹介

抱き茗荷

Author:抱き茗荷
意識の働きや自身のルーツ探しを課題としています。

つぶやき

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被差別部落 1

太古の昔より各業界、その中でも上位に立つものは目に見えぬカタチで策を立て身を守ってきました。
策略とか陰謀なんて言い方をします。

その存在こそ知ってはいるものの、中身を窺い知ることは当事者以外は困難ですし、それらは知性や経験、歴史を正しく知らなければ素人に理解することは厳しい事でしょう。
それでも知的欲求に駆られてしまい、人は本を買い漁りネットサーフィンをします。

この一連の欲求は、既に出版業界では売り上げが数値化され購買層の行動パターンも把握されていることと思います。ネットなんかでは過去自分が見た広告から予測された「こいつなら買いそうなモノ」が見透かしたようにサイトの広告に顔を出すワケです。

「陰謀論」という“論”ではなくマーケットなんですね。
これで儲けている人、結構いますね。『紙幅の都合上…』なぁ~んて言って次作へ誘導する出し惜しみ系とか(笑)
まあ、生活を懸けて出版しているのでしょうから致し方ありません。
(この手のタイプは私の場合、立ち読みで完読します、ゴメンアソバセ)

この陰謀論という商売の中でなかなかの幅を利かせているものに「田布施システム」なんちゅうのがあります。
明治天皇替え玉説に出てくる大室寅之祐や安倍総理の出身地でもある山口県熊毛郡田布施町という人口15000人ほどの町からきたものであります。

参考文献
「田布施システム」と明治天皇替え玉説

これらの説について私感を述べるとするならば、

『見てないから知らん』

です。

随分乱暴な私感と思われるでしょうが、歴史は時の権力者に歪められたり、史書の著者主観で変な方向に行く性質があるので、これぐらいの気持ちで観察(←ココ重要)するのが私のようなイッパンピーポーにはちょうどいいのです。
(なぜなら真実を手繰り寄せるには多くの時間や予算が必要だからデス)

ただ想像する自由は持ち合わせていますので、それを綴っていきたいと思います。

前述の田布施ですが、同和地区wikiでも確認できます通り、かつての被差別部落に該当する土地柄であります。

この被差別部落には種類があるようで、同和対策予算をチョーダイするための同和地区もあるそうなので頭に入れておいていただくといいかもです。

このような同和行政の話は排除し、今後被差別部落をテーマに話を進めてまいります。

被差別部落に関しては一部過去記事にも記しました。今後話が重複する部分もありますがご容赦ください。

海洋民族に想いを馳せる
異形の王権

長くなりそうなので、ここから先は“紙幅の都合上”次回に譲りたいと思います、
おあとがよろしいようでm(_ _)m

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昭和ノスタルジー その2

人はなにがしかに追い込まれると原点回帰しようと保護機能が働くようです。
別に意識はしていないのですが、頭にフッと何かがよぎるのです。今年はそれが音で反映されています。

あ、追い込まれている原因ですか?大したことではないです、税金です(笑)
去年は稼ぎが大きかったのですが、今年は転職後なので収入がとても少ないんです。
住民税をあまりにもいっぱい請求されたんでびっくりしちゃったんですね(^^;

幸い私は職を選ばず体力にも自信があるので、本業とは別に裏稼業(合法)でそれをカバーしているところであります。
世の中、金が無くなると誰かのせいにして気休めしようとする「ルサンチマン」なる人種がおられるようですが、他人を責めるアゴを動かす暇があるのなら手足を動かした方が前に進めると思います。

しかしながら、さすがは中年、疲れちゃうんですね、コレが。
ここで原点回帰が働くのです。
これは一種の甘えだと思いますが、誰にも迷惑はかけないので素直に身を委ねるわけです。

そこで頭をよぎったのは2組のアーティストでした。
両組とも平成に活躍されていますが、曲調がなんとも懐かしく心が癒されます。

1組目は鈴木常吉



やっぱり電気を使わない音は落ち着きます。あ、今はアンプラグドなんて言い方しますかね。
この曲は、大好きなドラマ「深夜食堂」の挿入歌でもあります。

2組目は座敷わらしのようなバンド、
童心に帰ってお聴きください。。。




(↑童心といいつつ最後下ネタという…)

綾小路きみまろが『人はオムツで始まり、オムツで終わる』なんて言ってた気がしますが、平成が間もなく終わろうとしているにも関わらず昭和のテイストを求め続ける我が身にそれは間違っていないなと感じる今日この頃。。。



昭和の括り

都議選の影響でしょうか、マスコミ&SNSが喧しくなってきました

各陣営・各思想家思いの丈を書き綴っていますが、そろそろあの昭和の括りから脱却してほしいと思うのは私だけでしょうか?


右翼 左翼


あと、アレもだ


反日 反米 嫌韓 嫌中


前回の更新で「名づけとは祓いのひとつである」と書かせていただきました、まあ、これが悪用の一例です。

さて、上記の時代遅れの括り、誰が祓ったかおわかりですよね?
ハイ、その通り、マスコミ(またはそのヒモつき作家orコピーライター)です。
※現在のトレンドはモリソバカケソバとなっております(2017上半期現在)

この括りで物事を見ている以上、あなたは立派なテレビっ子、カワイイネェ♡
ここから脱却できていない方は、学会員や清水富美加と同じなんですゾ

その清水富美加は「千眼美子」と名付けられました。
その名前を見たとき、一般の方は「イタい」とか「あ~あ…」と思ったのではないかと推測します。
その「あ~あ…」をマスコミが作った括りで騒いだ人を見て最近殊更に感じるわけです。

これらの括りは全て対立を生ませるために出来たものと思われますが、それで儲けるのは誰かを考えてみるといいですね。
私が思うに以下の産業でしょう。

・軍需産業
・輸送機産業

そして、戦争をすればケガ人はつきもの

・医者
・製薬産業

ケガが治っても心の傷は癒えません

・宗教
・痲薬(心療内科処方の薬も含む)

そしてお金をもらって煽るのがマスコミ、スポンサーや広告代理店には逆らえません(←この辺は仕事してる人なら似たり寄ったりでしょうな)

軍産複合体というヤツですね、この集団で民から掻き集めたお金を回しあっています。
上記はほんの一例ですが、俗にいう一部の右翼が最近「天皇・皇太子は反日である!」という理由がここにあります。
反応したトコロはこれでしょう(以下引用)

安倍晋三に投げかけられた天皇皇后両陛下と皇太子殿下のお言葉

天皇陛下

『80年の道のりを振り返って、特に印象に残っている出来事という質問ですが、やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです。私が学齢に達した 時には中国との戦争が始まっており、その翌年の12月8日から、中国のほかに新たに米国、英国、オランダとの戦争が始まりました。終戦を迎えたのは小学校 の最後の年でした。この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったこ とを思うと、本当に痛ましい限りです。

戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。戦後60年を超す歳月を経、今日、日本には東日本大震災のような大きな災害に対しても、人と人との絆を大切にし、冷静に事に対処し、復興に向かって尽力する人々が育っていることを、本当に心強く思っています』


※以上、平成25年 天皇誕生日に際する記者会見より

今上さんが平和を望むことを言挙げした事により、結果、これらのニセ国士の審神の完了と相成りました。
そしてこの翌年に世間を騒がしたあの御製…

「夕やみのせまる田に入り稔りたる稲の根本に鎌をあてがふ」

多くの意味を含んだ御製でしょうが、鎌を入れられたのは結果として軍産複合体ではないかと思われます。
その後、官邸に変化が訪れましたが、この説明に於いては飯山一郎さんトコの掲示板より、わかりやすい投稿がありましたので興味ある方は以下のリンクよりご覧ください。

★ 掲示板:『放知技(ほうちぎ)』 ★彡

ご理解いただけたでしょうか?

政治に文句を言っている方は昔からずーーーっと一緒です。
それは足るを知らないからというのもあるのでしょうが、マスコミの祓い(呪い←まじない)により敵をいつも間違えているからと思います。私もかつてイッパイ間違えましたw

本来個人が持っている知性を鍛え上げることを放棄しそれを外部に依存するからそうなっちゃう、宗教にはまる人の心理と同じです。その心理は、間違いを恐れることから発生します。

なぜ間違いを恐れるのか?恐れる人そのものが間違う人を攻撃するからですね。許せば自分自身も許せるモンです。

過去のことは水に流して古い括りから脱却してみるのもよろしいんじゃござぁせんか?

名づけはムズイが役に立つ

久々にページをいじりました、変化点はフィードの消去です。

前までは某ブログを3つほど表示していたわけですが、今年に入り私自身がこれをほとんど見ていません。

なぜかと申しますと、これらのブログは有事には瞬間的に威力を発揮するものではありますが、実質有事あっての存在感となっており、いわゆる左巻きと同じ性質を有しているからであります。対象に問題が発生しないと儲からないんですね。
前述の3ブログも今までは楽しませてもらったわけですが、建設的提案が見当たらず、問題の事象に対する評価のみとなっております。

以上のように問題に対して他人事のように評価を継続することを“祟り”と名付けました。

また、他にも東海アマや小林朝夫のような地震予知をすることで恐怖心を誘い関心を持たせ己の寂しさを紛らすものもいます。

このように、将来起きてほしくないことを統計学や再現性を鑑みず継続して予知したり予言したりする事を“呪い”としました。

以上2点の命名、的確ではないですか?
難しい言葉では認知されませんからね。


行動に名前を付けるのは認知してもらうからです。名前のないものは認知してもらえず、存在はしているが実体が掴めないのでもののけになってしまいます。

最近の若いコ達はこれがホントに上手であると思いますね。
少し古いかもしれませんが、「ドヤ顔」とか「てへぺろ」、「リア充」など…

※オヤジ殺傷能力を持つテヘペロの一例

てへぺろ


例えばドヤ顔と名付けしたことで、ドヤ顔をする心理はもう幽霊として存在することは出来ず見つけられるわけですから窮屈な事でしょう。


今回言いたかったことは、名づけとは祓いのひとつであるということです(ドヤ顔)
波動を粒子にする作業のようなものでしょうか、観察行為と似たものがあります。

今まで名づけは個体識別といったマイナンバーのような役割と思っていましたが、どうやらモノとコトでは意味合いが違うということに気づかされました。

※ドヤ顔を昇華させた一例

ドヤ顔第一位

酉の歳 来たるはサギか フクロウか

久しぶりの更新です。
(今年から文章を敬体に変更します)

自らも久々にブログを開きましたが、更新していないにも関わらず閲覧しに来ている方がおられたようで有難い限りです。

昨年は転職後の為、遊びも控え仕事に集中しておりました。
まあ中年期に転職というのは大変なもので、新しモノを取り込むのに一苦労です。歳のせいか被曝のせいかは定かではありませんが物忘れがヒドイ…、明らかに若いころと違う頭の回転に溜息を吐きまくってる日々であります。

ただ、新しい事に取り組むというのは自分自身に新しい息吹を吹き込み、それはまるで寒風に身を晒し目を覚ますような感覚で心地よさを感じます。

新しい息吹といえば、数年ぶりによくテレビを見る様になったのですが、その中でも経済・芸能分野に権力構造が変化しているように感じましたね。それを感じたのは以下の項目…

電通やその他ブラック企業の労働基準法違反の件をマスコミが頻繁に報道するようになった事
東芝粉飾決算
紅白常連の一部排除
フジテレビの凋落

まあ何があったかは素人なんでようわかりませんが、うっすら理解出来るのがヤリ玉に上がったトコは金が無くなったんでしょうな。
マスコミなんてモンはスポンサーになるかならないかで企業を「申告漏れ」にするか「脱税」にするか決める力を持っていますから。
今マスコミは広告料収入が相当減ってきてるらしいので、金くれたら報道止めるよと言う事でしょう。

とはいうものの、どうやらそれだけではないような感じです。
現在カジノ法案が進行していますが、恐らくこの胴元が強いんでしょう、まるで半島勢力を排除し消費性向者をパチンコからカジノへと誘導する為の下準備のように視えます。

以上下衆の勘繰りかもしれませんが、世の中はいまだゼニが基準で動いているのは確かなようです。
最近ではビットコインやFXなるものが出回っているようですが、こんなものに飛びつく者・飛び付かせる者は次元が知れております。

本来貨幣は労働の対価として得、物々交換の煩わしさを無くすために使うのが一般庶民の用途としては理想だと思うのですが、金から金を産もうなどというのは心の貧乏人を利用した資本家のゲームであります。資本主義とは資本家にゼニが集まる仕組みです、力士相手に素人が土俵に上がって勝てるわけが無い。

ゼニはあとからついてくるものです。
ゼニに敵うもの、それは知恵です。そしてその知恵から生まれた技術とモノ(またはサービス)でしょう。
武力は財力に屈しますが、財力は知力に、そして知力は武力に弱いのは昔から変わりません。ゼニが幅を利かしているのであれば知力を駆使し生き抜く事が求められます。あとはその知を必要以上に働かせなければ角も立たぬというもんでしょう。

しかしながら、これらを駆使する事が出来るのは健康あればこそ、被曝リスクは相変わらず継続中ですが、免疫を下げる事の無い様楽しく笑って過ごしていきましょう!

※下は我が家の注連縄、福の神さん待っちょりますゾ♪

笑門

視聴覚の休息

陰陽自然学の開祖、飯田亨氏の2004年~2013年の動向を予測した「地球核力激震10年(初版2006年)」という本をかつて購入していたのだが、変な霊能力者より的中率が高い。時期がずれているのもあるが動向はほぼ当たっている。
※2011年の核事故も的中

その中で直近の動向でハマっていたのが以下の予測。

EU分裂

この組織の分裂解体は国家間に限らず、恐らく大企業や宗教に於いても今後働くものと思われる。
しかしながら、この力は人によるものではなく、本のタイトル通り地球の意思にて働くものと思われ、熊本地震に秘められたメッセージ Part2に書かれてある通り、黄泉の入口はひらきっぱなしであり、冥界の王プルート(イザナミ)はいまだフクイチより誘いをかけてきている。

あと今後だが、傾向としてはテレビ・新聞に顕著に出てきている以下の予測。

視聴覚の休息

注目は視聴覚の休息。これは既存メディアに限らず、ネット、特にSNSに顕著に出始めるだろう。
自己顕示や有名人と繋がる事による特権意識、“リア充”アピールといった日常に必要のないものへの疲労感が最近特に見てとれる。日常体験をSNSにアップする為に行うようでは本当の感動など見つけられない事、こんな当たり前の事に漸く気づき始めてきた方達(特に若年層)のSNS離れ(特にfacebook)が加速しているように思う。

私自身はというと、放射能でやがて穢れ滅びゆくこの国土を近所のアブラゼミが元気の良いうちは満喫するつもりだ。
なのでネットも利用するサイトやブログはごくわずか、今は遊びと仕事に専念している。
このブログを立ち上げた目的であるルーツの探求は、その体験の中にもヒントや答えがあるのでアンテナを張っておけば入ってくる。

この現世を満喫・体験し感動する為に今の肉体に宿った自分の魂、視聴覚だけしか働かせないのはまこと勿体無い事であると感じる。

世界最強の聖地

若い時分は用事や作業が済んで家に帰るなり『ちょっと一服するか』と居間に座りテレビをつける習慣があった。本日は連休最終日という事もありゆっくり過ごすわけだが、午前中に用事を済ませ「たまにはテレビでもゆっくり眺めてみるか」とつけてはみたが、やはり面白くないどころか、むしろ有害指定してもよいレベルまでに落ちていた。
これは恐らく毎日視聴している方には気づかないのだろうな、とテレビ漬けになっている人を案ずるところまできてしまっている。

新聞も見ずこんな状態なので、私は現在の時事問題はあまり詳しくない。
しかしながら、ネットのお気に入りやツィッターのフォローしている方々から深層を掘り下げた情報が逐一入ってくるので非常に助かっていると共に、有害メディアに目を通す事もないので気分を害す事がそう多くない。

が、ネットを眺めているうちに前々から気にしている事が現実となり始めたツィートが入ってきた。



東海のアマちゃんのリツィートが飛び込んできた(私はフォローしていない、地震が来る事を望んでいるようにしか見えないから)
ついに神道の中に入り込んだもののけが正体を顕した。随分と拙速である。

上記の「これからは寺を回る」「もうお賽銭しない」 というのは金で神仏を動かそうとする勝手気儘な方の浅はかな主張なのでどうでもよい。
問題は改憲を進めようとする神道勢力の中身が何であり、目的は何かという事だ。

勿論、今日本という国家は戦争がしたくてウズウズしているので、軍産複合体の傀儡団体「日本会議」を主体として利用し、愛国を標榜し“私達日本大好き”PRに意を削いでいる。(本当は「日本“対策”会議」じゃないのかい?)

この拙速ともとれる自称愛国者だかは何を焦っているのか?というのは以下のリンクにヒントがいっぱい散りばめられている。

低下低下=てげてげ

さて、時として上記のように政争の具として利用される宗教だが、神道は本来宗教ではなく、名の通り『道』だ。神道にはまつろうだけなら教義はなく、あれはダメ、あれはこうすべき、といったものはない。人として最低限の所作さえあれば賽銭を入れなくても誰も咎めない。

宗教と言える神道とは、信仰心を手段とし思想を植え付け上納金を吸い上げる仕組みがあるところだ。
そして他にも現在神道最高の聖地扱いされている伊勢とアマテラスオホミノカミの位置の考え方、この位置は4次元的な意味とは異なる。これを心の中心に据えれば宗教に成り替わる。

それならば、世界最強の神、世界最強のパワースポットはどこか?

答えは「人の数だけある」が正解。
その神、そのパワースポットとは自分であり自宅にあるさらに重要なのは参拝の順序、これがキモだ。何かを決意・実行・完成させようとするとなると教義ではないが順序が発生する。料理やモノづくりと同じだ。

以下に神道を例に挙げた手順を記す。私は他の宗教や信条はよくわからないが、正の順序はみな以下に共通すると思う。

① 最強の聖地「自宅」を宮とし、家族と共に清める事、これは儀式を行うという事では無い。きれいに保つだけの話。塩を撒いたり幣を振り回すのは一番最後だし別にしなければならない事はない。
② ご先祖様にご挨拶。
③ 産土神や氏神へ参拝。
④ 自分が好きだと感じた聖地に行く。勿論これは別に神社仏閣とは限らない。

※科学的根拠は不明、実践・実証による。よって唯物論者は信じるに値しない。

多くの人は自らの信じた聖地へ神様に逢い祈りに行くのが目的だろう。
しかし、私幣禁断、自らの決意表明する場とし上記の手順を守らなければ神に逢う事はない(違えればむしろ状況が悪化する)。そしてその神様とは個別の人格では無いという事を理解しなければならない。たぶん神様というイメージでみんなパッと頭に浮かぶのは以下の様な感じではなかろうか?

kamisama.png

勿論こんな人出てこない(笑)

神様とは偶然性の高いところに及ぶ力そのもの、例えば人との出会いがそれに当たる。どんな人と出会ったかで人の人生は大きく変わる。努力もしないで得た泡銭なんかもそうだ(これは自分に使うと金額相当のしっぺ返しを食らう)。

今我が国は、家族や親族、ご先祖を蔑ろにし愛国心から事を始めようとしている。これを良しとする者はそのまま行けばいいが、全てはその者に帰ってくる事、自分の蒔いた種は自ら刈り取るだけである。

いろいろ書いたが、神社や神道の評判はどうでもいいが無くしてはならない。どんな都会の喧騒にも侵されない聖域がなければその地域は息が詰まる、そんな意味でも浄化の機能を果たしている。鎮守の杜には何の罪もなく、穢れを呼ぶのはいつも人である。そんな人と自然の真ん中にあり、両者を和える役割を担っている神社はとても大切な存在でありなくしてはならないと強く感じるのだ。

標準化の罠に嵌まった大企業

約3か月ぶりの書き込みだ。

この間私は一体何をしていたかというと、自分が抱える仕事をさばきにかかっていたのである。なぜそんなに急いでいたかというと、今勤めている会社を退職する準備を進めていたのだ。

昨年の暮れに「この世から“去る”歳にならないようにせねば…。」と書きこんだのだが、会社から去る歳となったわけなのだ。
ちなみに、12年前の申年も私は別の会社を去った。どうやら申年は自らにとって節目の歳であることが数十年生きて知る事が出来た。

私の勤め先は最近業績が大変よく、この不景気に営業利益は昨年の倍、給料や賞与もグングン上がり、私自身も現在相当な額をいただいている。子会社だが、世界的にも名の売れた企業の子会社なので、恐らく、このまま定年まで勤めれば老後は安泰、孫にも躊躇なくお年玉をあげる事が出来るお爺ちゃんになる事が確定だ。

しかしながら、私の内なる何かはそれを許さなかった。

企業というものは、その規模や組織が大きくなればなるほど人間の制御・統率出来る域を超える。それは国家も同様だ。
そうはいうものの、支配者にはそれをやり遂げる事が求められるし、やり遂げる事がその者達の名誉となる性質があるのでそこに全力を注ぐ。

そこで、必要となるものが「ルール」「標準」「規則」といった統一化(法)したものを手段として用いる。

万物には全てのものに波やバラツキがある。
大きく分けると、人・手法・素材・道具などといったもの全てにそれがある。それら全てにルールを決めバラツキを無くす事を俗に「標準化」とか「スタンダード」という。

道路交通法で言うと、

人…視覚や聴覚、飲酒や麻薬などへの制限
手法…免許制
素材…道路や標識
道具…車検に通る車両

これらを統一する事で、あれだけ多く走っている車がぶつかることなく道路を走れているは多くの人が理解出来るところだ。
そのなかで、唯一法で制限出来ないのが人の気分であり、事故の原因のほとんどはそれであると思う。
車を使う理由は3種類、空間移動時間の短縮、疲労を最小限に抑える事、そして自己顕示のどれかであろう。これを達成する為に人は法を破る事がある為事故が無くなる事はない。

それらのバラツキをなくすには、自動化・固定化・標準化が求められる。簡単に言うとロボットになれという事だ。
プログラム通りに行動せよ、と。
ここに知恵も個性も存在しない。私の内なる何かはそれを良しとしなかったようだ。

知恵が存在しないという事は新しいものは生まれない。
そんな中、残念なニュースが舞い込んだ。

クルマ開発、手仕事の先へ 熟練の成功例を数式で一般化

(以下引用)
 熟練技術者の手仕事に頼ってきた自動車の開発が、大きく変わりつつある。人間による過去の成功例をデータ化し、コンピューター上で主要部品の試作や評価などをこなす。これで浮いた人員や開発費は、次世代エコカーなどの先端研究にまわす。

 2万~3万点の部品でできる自動車の開発は、細分化されたノウハウを持つ技術者たちによる「あうんの呼吸」と、何度も相談を重ねて知恵を絞る「すり合わせ」に頼ってきた

 例えば「低燃費」と「力強い加速」といった相反する性能を両立させるには、何度もエンジンなどの試作機をつくって評価を重ねる。うまくいっても、試作車に載せて想定通りの結果が出なければ、また、前の工程にさかのぼって同じことを繰り返す。

 ただ、車やエンジンの種類は増え、以前より時間もお金も人手もかかるようになった。「エンジン制御だけでも、この10年で10倍は複雑になった。技術者の経験値をもとに試行錯誤するやり方はもう限界」。ホンダ開発部門の大津啓司常務執行役員は語る。

 そのためホンダは、開発の「上流」にあたる設計ではすでに多用されているコンピューター上のシミュレーションを、「下流」の主要部品の試作や試作機の評価などにも広げる「モデルベース開発(MBD)」を本格導入する。

 まず、すり合わせで培った過去の開発の「成功事例」を集めたデータベースをつくる。成功事例は数式にして一般化し、目標とする性能値を入れれば精度の高い設計図が得られたり、確度の高い仮想評価ができたりするイメージだ。


(引用ここまで)

思い上がりも机上の空論もいいとこだ。上記下線部の「成功事例」は手仕事により作られたのに、これからどのように事例を作るというのだろうか。
私は以下のツィートに共感する。



常に新しい知恵を出し続ける姿勢とモノづくりに喜びを感じさせてくれるホンダの姿勢が私は好きだった。
しかし、上記の方針はそれを覆すものであり、現在のF1の不振の原因も恐らくそれだろう。

なんでも数値に出来るというのは確かであるが、それはやった後の結果が数値になっているのだ。
やってもいないことに数値を付ける事は出来ない。それをやろうとするところに人としての尊厳がある事を、特に若い世代には理解してほしい。理解できないのであれば以下の動画を参照していただきたい。

へら絞り



きさげ加工



切削加工


薬漬けにつけるクスリ

病院好き・薬好きは、自分自身が固定した存在と勘違いしているところに誤りがある。

クスリ大好き!


病気のたびに自らの体に投与しているものにも注目していただきたい。化学物質投与を続け、病原菌の力を削ぐやり方だ。(対症療法っていうヤツだったか…)
また自分自身は何も変わっていない為、また同じ病気を繰り返す可能性も秘めている。

しかし本来の健康維持とは、以下の思考である事は3.11後の約5年間自らが実践して確証を得た。

本来の健康維持

投与している図はヨーグルトを示している。これは飯山一郎さんが提唱している豆乳ヨーグルトを一例としてあげさせてもらったものだ。これに限らず免疫をあげるものはたくさんあるし、わざわざ実費と健康保険を使って得体の知れない化学物質を体に入れる必要はないのだ。(ちなみにこの図はメンタルヘルスにも応用できる)
またグラフの波は最初のものと合わせているが、実際は免疫の対策をしていくわけだから続ける事によって強の側へ向かっていくので病気から遠ざかっていく。

免疫強化推移

ガンが進行するとよく『末期ガン』という言葉が使われるが、本質は『免疫力末期』だろうと。インフルエンザだってマスクしてうがい手洗いしていても罹る人は罹る、免疫が弱っているのだから。
これを理解されている方は、免疫が保たれるような生活をしている為上記グラフでいう青い範囲に留まれているので、どんな菌が流行ろうと恐怖に慄く事はないわけだ。


結論として、病気の原因は心身共に自分自身にあり、それらは自責他責をともなうものではないということだ。

問題が起きたら自省し問題解決へ向けてただ前に進むだけでいいだけの話、これに必要なのは『すぐやろう!』という実行力だけでよく、知識はさほど必要ではない。

人間は変動する生き物だという事がわかればその環境に合わせる事。競馬の騎手の足のように馬の動きに合わせ足の関節を柔軟にし力を吸収するような生き方が大切ではないかと想う。

昭和ノスタルジー

テレビやラジオにどっぷり浸かりきっていた昭和生まれの方達は、その番組のオープニングBGMに当時の情景を思いだすのではないだろうか。車でラジオなんて聴いていると時折昔のそのBGMに巡り合い昭和のノスタルジーに浸る時がある。

最近でいうと、亀さんのブログに懐かしきラジオがUPされており、しばし聴きいってしまった。




これを聴いていた頃私はまだ学生で、オールナイトニッポンを2時間聴き通した後、この「いすゞ 歌うヘッドライトOP」を聴きながらラジオつけっぱなしで寝ていたものだ。




このAMのかすれた音質は昭和の代表といっても過言ではないとおもう。なぜなら平成に入り急速にFM放送局が普及しはじめたからだ。

AMはDJの話が主流だったが、FMは音質の良さが際立った事もあり音楽がメインだったように思う。
その音質の良さを一番感じとれたのが(やはり深夜番組だが)長寿番組のジェットストリームではないだろうか?

城達也の渋い声でキザな台詞から始まるこのプログラムは、非日常的な空間を脳内で味わうにはうってつけであった。




こんなにも昔に惹かれるのはなぜだろうか?汚れきってしまった今を浄化しようとしているのか?きっと魂を過去に戻し、我が国の時間軸さえも穢れ薄き頃に戻そうとしているに違いない。

一見これは逃避行動のように思われるかもしれないが、心が洗浄を求めているだけだと思う。現実を見れば我が国に希望というものはほぼないに等しい。物質に於いても手に入れても虚無に帰すものでしかない。

しかし魂や想像は自由であり、時間制限はないものだ。

さあ、これから昔懐かしいテレビ番組OPでも探してみるか…。

※昭和感あふれるニュースのOP





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