民のかまどはにぎはひにけり

見えないものの検証と、庶民のつぶやき(不定期更新)

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自己紹介

抱き茗荷

Author:抱き茗荷
意識の働きや自身のルーツ探しを課題としています。

つぶやき

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五十音に宿る意

ここ数年タマコトに嵌まっておりまして、特にその中でも今一番惹かれているのが五十音一つひとつに意味があるという事です。数冊の書物から「これは的を得ているなぁ~」と思ったものや自分で閃いたものを記録として残しておきたいと思います。(家紋の研究は最近行き詰っている… (^^;) )

日本語でも言える事をいちいち英語に変換して知(痴?)をひけらかす御仁が増殖している今日此頃、我が国の言葉を見つめ直し日本語の趣の深さを知っていただければ幸いです。

なお、タマコトの解釈は訓読みのみであります。音読みは古来の日本には無かったものと思われますし、これもあまり使い過ぎますと、英語と同様文章が難しくなり、これもまた知をひけらかしているような感じになりますのであまり考えないようにしているのです。(訓読みが多すぎると、文章が子供っぽくなったり長文になるという難点はある)

かといって、音読みも日本語で発声すると意味を持つかもしれませんので否定するものではありません。例えば、「共産党」という言葉がありますが、強酸党だから酸性(賛成)を必要としないとか…w(これはダジャレになるのか?)

戯言はそれくらいにして、本日は「」について書かせていただきます。
「ネ」は父音「」、母音が「」であります。

まず、父音のヌについては「目に視えない世界」の元素との事。(「相曾誠治著 超古神道Ⅰ・Ⅱ(山雅房)」より引用)
例えば、「盗む」については、あったものが無くなってしまう、人の見てない場所でやられる、という意味では当てはまっております。
他にも、「縫う」も、生地を見え隠れしながらおこなう作業ですね。因みに「ウ」は下から上がってくる気であり、忽然と姿を現すことを意味するそうです。とても理にかなっているのではないでしょうか。
私が見つけた該当する単語はやはり「ヌード」ですね(笑)残念ながら、なかなか見る機会はございません… (^^;) 「ヌ」本来の意味合いが生き続けております。
他にも「塗る」「濡れる」等があります。

続きまして、「エ」です。
「エ」は『気の開く形を指している』との事。(引用 同上)
この「ヌ」という視えない世界で「エ」をもって気を開いたものが「」となるそうです。

「エ」の応用として、マ行の父音「ム」ですが、可視界である物質世界を指すそうです。
この気が開くと「目」となり「芽」となる、というわけです。

興味が無い方からすれば「だから何なんだ?」という内容ですが、自分の名前への影響や住所で考えますと案外面白いモンです。
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『日本語の方がよくないですか?』

引っ越し直後という事もあり、我が家では段ボールから引っ張り出したものが住所不定で彷徨っています。このモノ(者)達に居場所を与えない事には治安が乱れてしまいます。かつて書きました「モノに戸籍を与える」の考え方に基づき、あらゆるモノに住所と表札をつける作業に着手しました。

場所を与えた後に表札を作成するわけですが、この表示に使用する文字選びが肝心です。
私の場合は「カタカナ」は基本NGとしております。
何故かと申しますと、視覚に訴える力がないからです。例えば、最近なら食卓を“ダイニング”、居間を“リビング”なんていいますが、漢字は文字の一つひとつに意味がありますので理解しやすいものです。カタカナの場合、全て頭の中で和英変換する作業が無意識に発生する為わかりにくいものです。
あと大半は漢字で表現した方が短くて済みます。テプラやネームランドで作る時はテープ代もかかりますから短いに越した事はありません。
漢字表記の良さの一例として、タンクローリーの最後尾が分かりやすくていいですね。

車間距離を空けたくなる表記

私は会社員をしていますが、今管理職がやたらとこのカタカナの言葉で語ります。
やれ“コンプライアンス”だ、やれ“トレサビリティ”だの、知らない頃はいちいち『それどういう意味ですか?』と聞いておりました。そこで殆どの方はドヤ顔で『それは○○○という意味だ』と仰るわけですが、その言葉そのものは従来の日本語にもあるものが大半であります。
その意味を聞いた後、私は必ず返します。

なぜ、英語に変換するんですか?日本語の方が短い時は日本語の方がよくないですか?

この私の質問に納得する回答を誰もしません。この質問で恐らくその人は自分がただ知識をひけらかしている事に気付くのでしょう、大概黙り込みます。それか、“グローバル化”というものに洗脳されてしまっている事に気付いたか…。別にトイレを「厠(かわや)」、ポストを「郵便受け」とまでは求めませんが、カタカナに変換する必要のない言葉があふれ過ぎていますね。

しかしながら、漢字は古文書や言霊を解釈する時の最大の阻害要因になります。
この話は別の機会にまとまり次第書いていこうと思います。


トイレの貼り紙

公共のトイレに「いつもきれいに使っていただきありがとうございます」という
貼り紙がよくありますが、初めてきたのに先に行動の予約されたような気になります。
その事でこちらのサイトに詳細が書いてありまして、
「心理学的に カリギュラ効果 を応用したメッセージらしい。」との事です。

【ウィキペディア】カリギュラ効果

このトイレの貼り紙に対する反応が人により違うのも面白いです。
<参考サイト>ようこそ ○× ソーシャル 「コトノハ」へ!

この反応の違いは自分の外面に向けている行動が
そのまま思いとなっているように見えます。
きっと日頃から綺麗にしようと心がけている人は
「どういたしまして」となるでしょうし、
“俺のトイレじゃないし…”と雑に扱う人は
「嫌味言ってんじゃねーよ」となります。

この貼り紙を貼るとトイレが綺麗になっていくと言われますが、
トイレを汚す人を遠ざけていると考えてもよさそうです。

余談ですが、小林正観という方はトイレ掃除とトイレの蓋を
常に閉める事を継続するとお金が溜まると著書に書いてあります。
植村花菜さんも「べっぴんさんになれる」と歌っていますね。
別に変な宗教でも無いし悪い事やっているわけでは無いので実践し続けたところ、
生活環境は好転しました。あながち迷信とは言えないみたいです。

という事で、トイレは便器の縁を拭いて出ると決めて現在実践しています。
次に使う人が気持ちよく使えて、自分自身も良き境遇に恵まれるので継続出来るのです。

「ミ」の不思議

これまで対称性のあるものをテーマにアップしてきましたが、
「火と水」、この2つは文献が多いですね。

火(カ)・水()で「神」や、他にも左(ヒダリ・火)と右(ギ・水)等…。
体も右と左に対称性がありますし、上下の対称性は歯にあり「噛み(カ)」ますよね。
他にもイザナギ・イザナ、気と身、樹と実と挙げたらキリがないです。

こう見てみますと実体のあるものや、因果の「果」にあたるものが「」のようですね。

他にも対峙する相手に対する言葉として「君(キ)」とありますが、
「因」という自分が観測する事で、「果」である相手がいるから「君」だと考えられるかもしれません。
これが正しいならば、対称とは自分が要因を作り、生みだされた産物のような気がします。
(勿論、これは主体からの見方です)

「相手にやさしく出来る人は、人からやさしくされる」という事を聞いた事がありますが、
それと意を同じく感じます。これを「鏡(カ)の法則」というのでしょうか。

我()を取れば、神(カ)になれるカモ…。






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