民のかまどはにぎはひにけり

見えないものの検証と、庶民のつぶやき(不定期更新)

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自己紹介

抱き茗荷

Author:抱き茗荷
意識の働きや自身のルーツ探しを課題としています。

つぶやき

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異形の王権

ブログ「人生は冥土までの暇潰し」の亀さんから先回の記事に対するコメントをいただいて異形の王権という本を薦められたので早速取り寄せようとamazonを見ていた。

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著者の網野善彦 氏の他の著書を眺めていたところ、中世の非人と遊女というのが妙に気になり、レビューを見てみると大変興味深いコメントが寄せられていたので引用させていただくことにした。

以下引用

この1冊を通して漠然と知ったのは、そういった人々が実は「穢れを払う」立場にいたこと。また、やはり定住せずに遍歴して生業を営んでいたこと。その場合、滞在するところは河原などの「無所有」の場。そういったところは「聖なる場所」と見なされていた、と言う。そして、穢れを払う彼らは、聖なる存在として認識されていたとも言う。そして同時に、それゆえに畏れられていたと言う。このことが聖別となり、後の差別に変わっていった要因のようだ。しかし、穢れを清める立場にいたが故にそれが畏れの対象となり、次第に忌避、排除の対象となっていくというのは悲しい話だ。

古代国家の制度が崩壊し始め、それらに変わる新たな時代が到来しつつあった時期に、職能集団としての彼らが誕生し、一時期は時の権力者によって制度的に組み込まれていたのは確かなようだ。それが鎌倉時代末から南北朝時代に入り、大きくなっていく過程で職能分化していった。分化した中で対立が起こり、穢れを忌避する観念が社会に浸透し、賤視・差別へと結びついていったと言う。あまりにも奥深い問題で、私には表面的なとらえ方しかできなかった…。


引用ここまで

審神・祓いの分野に興味のある私は、こちらにも大いにそそられた。
特に祓いとは、忌み嫌うとこでありながら人の避けられない業であるからだ。それは現代に於いては“不”の称号が与えられるものばかりであり負のイメージに覆われている部分である。
この業と向き合い和解するところに生きている意味さえ感じてしまうのだ。

非人や遊女の生きざまを普段の生活から窺い知れる事は今の世ではなかなかできない。
この隠れた部分に我が国の真実の一部が隠されていると私の尊敬する方々は一様に言う。

来年はここに焦点を当てていこう。

世の中が世の中だ。まずは健康第一、元気が無ければ本も読めない。
この世から“去る”歳にならないようにせねば…。

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海洋民族に想いを馳せる

世の中どんな大学に行こうが、高度な勉強をしようが解決できない不思議な事があるものだと以下の画像を見て思う。
相似象
地名は私が付けたのだが、あっているかどうかなんて誰もわからない。
まあ、今日は波も無かったので暇潰しに作成、私が通う伊良湖の海は冬になると北西の風が波を抑え海が静かになるのだ。

その伊良湖だが、渥美半島先端に伊良湖神社というのがある。

伊良湖神社

由緒書き

由緒書きを見ると、伊良久大明神(いらくだいみょうじん)と書かれてある。
そこで先程の世界地図を見ていただいてもらうとわかるが、愛知県はイラクに位置しているわけで、「これは偶然か?!」と考えさせられたが、これについては解く事をひとまず諦める事にした。

それよりも、気になったのは元旦の「ごせんだら祭」である。以下、田原市観光ガイドより引用。

ルーツは海洋民族の儀式?

 大晦日から元日の早朝にかけて、伊良湖神社の境内で行われる火祭り。人々は、昔からこの祭に豊漁や無病息災などを祈ってきました。古くから伊勢・三河の海を駆け回っていた阿曇(あづみ)氏、海部(あまべ)氏といった海洋民族の原始的な儀式がルーツではないかといわれています。「せんだら」というのは、サンスクリット語で「南方印度(天竺)の賎民」を意味するといわれ、祭の名前からも、潮風にのり海を越えてやってきた海洋民族の名残を感じることができます。


せんだらとは「旃陀羅」と書き、日本の中世の一時期、被差別民にたいする呼称として使われていた語との事。
かつて、我が国の民族のルーツについて、さる筋より「被差別部落を知らねば解く事は出来ない」と聞いた記憶があるし、落合莞爾さんの本にも似たような事が書いてたかのように思うが、未だ整理がついていないのが現状だ。

今後の課題にしていこう。

<賎民についての参考文献>

喜田貞吉「賤民概説」
(青空文庫ボランティアの方々に敬意を表します)


進化しない男の進化論

超久々の更新です。この数カ月、海洋民族の血が騒ぎ遊び呆けておりました。
今回は気楽に書いた記事ですので、真面目過ぎる方は読まない方がいいです。

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縄文と弥生の比較をされているブログは多数あり、よく検証し研究されているなと感じます。

私はというと、なんでも勘に頼り仮説・妄想と、非科学的なみちを相変わらず歩んでいます。
その仮説ですが、ヒトは環境に対応し顔つきや体つきが変わるものだと思います。
“キリンの首が長くなった理由”みたいなもんです。

「んなこた分かってるわ!」という人もいれば、「ちょっと違うね」という方もおられましょう。
あくまでも仮説・妄想であり、個人のブログだから書けるものなので目くじら立てず御覧ください。

・髪の毛

くせ毛…日射しの強い土地(髪がうねる事で直射日光を遮る)

・眉毛

太い…湿度が高く蒸し暑い土地(額の汗が眼に入る事を防ぐ)

・眼

彫りが深い…日照時間の多い土地(日射しを遮る)
切れ長…吹きさらしの乾燥帯(乾燥から眼を守る)

・鼻

穴が大きい…熱帯(酸素密度が低いので多く取り込む)
穴が小さい…寒帯・乾燥帯(乾燥から粘膜を守る)

・唇

薄い…寒帯・乾燥帯(上記と同様、粘膜保護)

・口

エラが張って大きい…狩猟民族(獲物が固く大きいので…)


いかがでしたか?当たらずとも遠からずではないでしょうか。
意外にもこういうルーツのお話、水商売のお姐さんの食い付きがいいです(笑)
(食いついているフリが上手ともいえる)

誰でも自分のルーツは知りたくなるもの。
もうすぐお盆ですが、お墓の家紋を眺め心を突き動かされる事があるなら、それを調べる事で心の解放を促す事もまた一興だと思います。


家紋「抱き茗荷」~植物としての茗荷~

前記事で“童心に戻る”と言ったように、単なる茗荷ファンとして茗荷を見つめてネットサーフィンをしております。
それをまとめたり気づいた事を書き連ねていきます。

茗荷については「みょうがのレシピと育て方ガイド」というページもよく研究されており参考にさせていただいております。
その内容も混ぜつつ、興味を抱いたものだけを選定していきます。

まず、茗荷ってどこが産地なのか?統計から見てみました。
以下は平成16年度のものになりますが露地栽培収穫量上位5県です。
(ハウス栽培は人の手が入り過ぎていますので除きます)

茗荷産地

共通点を探りますと奈良を除き、火山帯が関連しています。

日本の火山帯

那須火山帯を茗荷は好むようであります。その火山帯にあります那須塩原市には「茗荷温泉神社」というのも存在しておりまして、何か感じるモノがあります。

茗荷温泉神社本殿

その那須塩原より東に20~30キロ行きますと、「福島県東白川郡矢祭町大字茗荷」という地区もあり、北関東~東北は茗荷には縁がある土地といえそうです。

最後に、偶然か?必然か?私は毎年氏神様に初詣に参った後、引き続き約150キロの道のりを経て奈良までお参りに行っております(家紋に興味を持つ前から)。「大和は国のまほろば」とよく言いますが、茗荷露地栽培日本一の奈良県は、茗荷紋を持つ者のまほろばでもあるかも知れません。

三輪山 箸墓

※写真は三輪山と箸墓



以下、H26.3.17追記

やはり奈良にもありました。

奈良市茗荷町(かつては田原村、奈良市へ編入)
「大字茗荷」で検索したところみつけたものです。この町には茗荷町天満神社というのがあります。
(引用先:奈良の寺社)

茗荷天満神社

祭神は菅原道真公でありますが、地図では春日宮御陵近辺であり、春日大社の山奥位置しており、茗荷紋=藤原家という“さる筋”よりの情報はより確かなものであると、確信は増した次第であります。



家紋「抱き茗荷」~『藤橘源平』は『唐契元ペ』?!~

「八切式姓の法則」という本をご存知でしょうか?

八切止夫文庫より以下引用

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八切史観では、日本人の大半は663年の白村江敗戦時、戦勝国唐進駐軍に古日本女は性の奴隷として辱められ、その私生児は嫡子ではなく庶子として、藤原、奈良、平安時代の奴隷として売買されていた。(中略)

その時の支配階級は源平藤橘であり、

源  元(漢音ゲン=源)モンゴル人
平  ペルシア人(漢音ぺ=平)
藤  唐人・・・藤(漢音トウ=藤)
橘  契丹人(漢音キツ=橘)

天皇以下は在日であった。
在来の日本人はこれらの在日の奴隷として庶民を形成し、支配者である源平藤橘の4支配者の許可がなければHできなかったのである。この時、支配階級(源・平・藤・橘)の女に手を出した在来日本人は首をはねられ、死んでも、ええ女を抱くという肉食系男子の遺伝子は断種させられたのが原因である。
*******************************************************************


『藤橘源平』については前にも書きましたが、漢音解釈ではありますが少し興味深いものを感じます。
私自身は平氏と藤原氏が合体した姓を持ちますが、顔が“中東系”でありますので『ペ』の信憑性が自分の中で高くなりました(笑)(「天皇以下は在日であった」の行は、誰が言ってたか忘れましたが、「『日本人』という民族は元々いない」の台詞を思い出します)

ペルシャといえば、過去記事にこんな事を書いた事があります。

家紋「抱き茗荷」~秦氏~より


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聖徳太子といえば幼名は厩戸豊聡耳皇子(うまやどのとよとみみのみこ)といったが、
この名は母親の穴穂部間人皇女が馬小屋の前で急に産気づき、
その場で産んだために付けられた名前だという伝承がある。
急に産気づいたからといっても、天皇の子供が馬小屋で生まれるはずはない。
もしかしたら、これは秦氏がイエス生誕伝説を持ち込んだものではないか。
母の間人(はしひと)という名も怪しい。間人=波斯人で、
つまりペルシャ人だったという説がある。
中国語で波斯とはペルシャのことだが、これはペルシャ語によるペルシャの発音
「ファルシー」の音訳だ。
『続日本紀』には、奈良時代に波斯人が渡来して居住したという記述があるので
、その説はあり得るかもしれない。もちろん、本当にペルシャ人だったとすれば、
その親である蘇我稲目か、または妻の小姉君 (おあねのきみ)も
ペルシャ人だったことになるが。
*******************************************************************


(参考)ペルシア帝国地図↓

orient_persia.gif

ちょっとずつ繋がってきたかなぁ?道を間違えて無ければよいのですが…

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