民のかまどはにぎはひにけり

見えないものの検証と、庶民のつぶやき(不定期更新)

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自己紹介

抱き茗荷

Author:抱き茗荷
意識の働きや自身のルーツ探しを課題としています。

つぶやき

動機について

あっという間に正月も過ぎ去り、子供は冬休みの宿題に追われている。
その問題を解きながら頭を抱えているので、その問題を見てみると、

「東大寺の門の両脇にある像の名前は?」

だった…。(これ中学1年生の問題)
私はその後、
「東大寺に行った時に見たあの像だよ、名前なんか知らなくても
あの迫力がわかればいいんじゃない?」と、いいつつ答えを教えた。
そんな親の背中を見て育った我が子は、成績は中の下だ。よく似たもんだ。

大人から見れば、こんな問題解けなくても何の問題もないが
このような問題ばかりで高校受験を受け人生を左右される子供は不幸だ。
なので我が家では順位を競うような事はしない。

勉強を大人になって始める人が増えてきているが、
それは自分が生きていく為にする「凌ぎとしての学び」と、
興味があり楽しむための「趣味の学び」が多いと想う。
子供の場合は、成績が上がると喜ぶ親の顔が見たくてするものと
やれと言われてやる勉強の2種類ではないだろうか。

学びというのは動機が発生してから行うものだが、
それが発生する前に行うからきっと「義務教育」というのだろう。

その義務教育の中で教えられるものには殆どのものに「答え」を求められる。
その中には不変のものもあれば、変化するものもある。
他にも見る角度で答えの変わるものもある。
しかし、今の教育は答えは一つだという洗脳を受ける。
これは一神教的考えで必ず論争を起こす元となる。
科学の世界に於いては特にこの傾向が顕著だ。

私は正解とか間違いとかにあまり興味がない。
どちらかというと認める・認めない、だ。
それは何を認めるかというと先に出た動機(目的) である。

誰かが何か新しく事を興す時、動機が発生する。
「ウマいモノ食いたいから」「人前でカリスマと呼ばれたいから」「エッチがしたいから」
「人を思い通りに動かしたいから」といったものから、
「家族が健康に生きていけるように」「ふるさとが好きだから」「笑顔が見たいから」
「○○が好きだから」といったものまで色々ある。

動機は個人的に楽しむ分には全然問題ないのだが、
人を動かす者に対してはこの動機が何であるかが問題である。
政治・宗教・企業等あるが、これらの動機を見破る事が肝心だ。
私的な理由か、公的な理由かが問題である

前者は認めず、後者は認めるのが私のスタンスだ。
よって殆どの政治家を認めるわけにはいかないのだ。
なぜなら、結果は今の国土や行政に顕れているからである。



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