民のかまどはにぎはひにけり

見えないものの検証と、庶民のつぶやき(不定期更新)

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抱き茗荷

Author:抱き茗荷
意識の働きや自身のルーツ探しを課題としています。

つぶやき

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家紋「抱き茗荷」~秦氏~

ネットを通じて知り合った方に「秦氏」について質問した事があります。
秦氏といえば摩多羅神が主役である牛祭りが行われていた
広隆寺(通称:太秦寺)との関連のある氏族ですが、
秦氏はペルシャからの流れだと伺いました。
先日秦氏の事について興味本位でいろんなHPを見ていた所、
これに関する意見を見つけました。

聖地巡礼ファイルより引用
****************************************************************
聖徳太子といえば幼名は厩戸豊聡耳皇子(うまやどのとよとみみのみこ)といったが、
この名は母親の穴穂部間人皇女が馬小屋の前で急に産気づき、
その場で産んだために付けられた名前だという伝承がある。
急に産気づいたからといっても、天皇の子供が馬小屋で生まれるはずはない。
もしかしたら、これは秦氏がイエス生誕伝説を持ち込んだものではないか。
母の間人(はしひと)という名も怪しい。間人=波斯人で、
つまりペルシャ人だったという説がある。

中国語で波斯とはペルシャのことだが、これはペルシャ語によるペルシャの発音
「ファルシー」の音訳だ。
『続日本紀』には、奈良時代に波斯人が渡来して居住したという記述があるので
、その説はあり得るかもしれない。もちろん、本当にペルシャ人だったとすれば、
その親である蘇我稲目か、または妻の小姉君 (おあねのきみ)も
ペルシャ人だったことになるが。
****************************************************************

これが本当ならシルクロードと名前がついた事も納得出来ます。
秦氏が機織部だったとされる事とも繋がりますし、またペルシャといえば
高級絨毯でも有名ですから納得する所であります。
京都の西陣織をはじめとする絹織物を得意とする文化も
秦氏の持ち込んだ技術に日本の美を織り交ぜたと考えても不思議では無いです。

引用文に、秦氏がイエス生誕伝説を持ち込んだとありますが、
かつて太秦地区を訪れて感じた事として、自分の知っている範囲での
景教の影響を色濃く感じましたので現状では間違いないのではと感じています。

宗派もいろいろありますので一概に景教とは断定しがたいものはありますが
広隆寺創建前後より当時の宗教や政治は流れが変化していますので
秦氏が思想的な面で何らかの影響を与えたのは間違いないでしょう。

大酒神社

※写真は大酒神社
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