民のかまどはにぎはひにけり

見えないものの検証と、庶民のつぶやき(不定期更新)

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抱き茗荷

Author:抱き茗荷
意識の働きや自身のルーツ探しを課題としています。

つぶやき

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場主体従

馴染みの街を探索したり、何年も同じ道を通るたび「ここに店建てると必ず潰れるなぁ」という場所がどこでもあります。勿論日照時間や道路の造りなどの立地条件が大きく影響する事もありますが、「なぜここが?」という場所もあります。

「場が変わると感情に変化を来たす」という話を最近ある方から聞いた事により上記のような事を考えたわけですが、通常物事を決する時というのは人の思考や行動だけが結果を決めると思いがちです。しかし場が事の良し悪しを決めると考えて過去を見つめ直すとその信憑性は高いようです。ある人がある場所に生まれてからの人生と、また別の人がその同じ場所に生まれてからの人生の軌跡が酷似する例があるからです。

もしそのように「場が事を決する」事が真実ならば、今までの考え方はなんと傲慢であろうかと感じさせられます。場というものが主でありながら、それを無視し続けて個人個人の想いで自分の手柄だと勘違いを犯しているからです。

この「場主体従」の考え方で今までの決されたことを思い返してみますと、うまくいかなかった事に対し責任論を唱え、誰かを責めることに何の意味があるのだろうか、と考えさせられます。勿論「場」のせいでもありません。「場」が主である事を知らなかった事が要因なのです。産土・氏神信仰や地鎮祭というのは、実はその場に対する畏怖の精神を持った日本ならではの文化であろうかと思います。

個人的な見解ですが、この考え方そのものが「アニミズム」であると確信しております。そしてこのアニミズムこそが文明に侵された自然を回復していく思想の原点であると考える次第です。
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