民のかまどはにぎはひにけり

見えないものの検証と、庶民のつぶやき(不定期更新)

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抱き茗荷

Author:抱き茗荷
意識の働きや自身のルーツ探しを課題としています。

つぶやき

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空中携挙?間に合ってます。

ネットを散策しますと、よく「銀河連邦」だとか「宇宙人」とかいう話が眼につきます。書店でもそういうコーナーがあり、そういう類の書籍は隅っこの陰に隠れた場所に陳列されています。トンデモ系のものは興味はそそるものの、どれもこれも考え方が「空中携挙」系のものばかり…。世の中が混沌とし突破口が見えなくなると、前後左右(平面)でなく天(立体)を頼るようです。それはきっと宇宙が無限な空間であり未知の世界であるから、そこに何かを期待しているのかも知れません。
この未知の部分に期待して毎回良いように利用されている顕著な例が選挙ではないでしょうか。離合集散の新党に安易に食い付き投票し、蓋を開ければいつか来た道…というのがパターンではないかと思います。

空中携挙により差し伸べられる手、その手は紛れもなく助けを求めた者の魂を抜く手です。
魂を抜かれてしまったその体からは人格はほとんど失われています。空中携挙の手の先にある胴元の事を悪く言われては怒り、胴元に裏切られては怒るという別の憑き物がかわりに入ります。乗っ取られたその体は自分のものではないからいいや、なんて思っている憑き物に粗末に利用されて病(やまい)に冒されてしまうというわけです。

ついでですが、この病(やまい)というコトバ、タマコトで解釈を試みました(あくまでも個人的な解釈です)

病(やまい)…イアマイ→意甘い
※ヤ行は父音が唯一イの段である

自分の意志を他人に委ね何かに期待する事は、病という現象をもって考える時間を与えられてしまうという事でしょうか。

本来神というものは人を成長させる為に、常に乗り越えられる範囲での負荷を与え続ける存在であると思います。それを乗り越える事で今まで苦労と思っていたものがそう感じなくなった、その気持ちそのものが神からの贈り物ではないでしょうか。

「灯台もと暗し」、まずは天を仰がず点(自分自身)に救いを見出すのが本来の立ち位置ではないかと感じます。


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