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今は視ることの少なくなってきたテレビの話です。
子供の頃、土曜の夜といえば我が家では「日本むかし話→クイズダービー」という順番でチャンネルを変えることなく視ておりました。今考えますととてもいい時代だったなぁ、と思います。
「日本むかし話」は常田富士夫さんと市原悦子さんが声優をやっておりましたが、子供ながらにこのお二人の演技力に感動していた記憶があります。人としてやってはいけない事、自然に対して侵してはいけない部分をこの番組には教えられたものです。下手に学校に行くより学ぶものは全然多かったと思います。
この民話をベースにしたむかし話には強制力など勿論ありません。それを見て考えさせられる、そして自分自身はどう行動していこうか、という動機を与えられます。
「クイズダービー」は私が今まで見てきたクイズ番組の中では一番難しい問題が多かったと感じます。「これは『何』でしょう?」ではなく「これは『なぜ』でしょう?」形式や、「なぜこの答えなのだ?」と考えさせられる問題が多かったからでしょうか。『何』は知っているか知らないか、または覚えているか覚えていないか、を問われているだけですが、『なぜ』は記憶や経験といった既知の事に依存する事は出来ず、自ら『なぜなら…』と考えなければなりません。その人自身の問題解決能力を問われますので学力はアテにならないわけです。だから篠沢教授や北野大さんらは“倍率”が高かったのでしょう(笑)
上記2番組に共通する事は
自問自答です。
自問自答は問題解決能力を身につける一番の薬です。これを身につけないと
抗うつ剤、向精神薬の餌食になります。
自問自答にはルールが存在します。それは
ヒトのせいにしない事です。
「なぜ○○という問題が発生したか」→「それは○○さんが○○したから」という発想は問題解決に結び付くわけがありません。なぜなら問題とは、人の中には存在しないからです。良い悪い・高い低いというのは基準あってのものですが、人に貴賤というものは存在せず、個々に主観が存在するからです。もし人に問題があると考えるのならば、それはひとの心に土足で侵入して勝手に自分の基準を線引きしているということになります。「罪を憎んで人を憎まず」とはこれに対する戒めではと感じます。
一見、人に原因があるような事でも、その人がなぜそのような考えに至ったのか?ということまで考えますと、教育や躾の仕組みとまで辿りつきやすいです。仕組みとは人が作りあげるものですが、人は完璧ではないのでこの世に生まれてくるわけで、失敗はつきもの(憑き物)です。その失敗は次のよりよいものを作り出すための材料になるので責めるものではなく、正していくものなのです。
人のせいにして自分の感情をスッキリさせる事は問題解決でもなんでもなく、ただの攻撃です。人を排除したからといって問題は残るわけですから最終的に問題は本人が考えざるを得ないわけです。そうなりますと、人のせいにする癖がついてますと自分を責め始めますので心が病んでいくわけです。今日の凶悪犯罪や自殺の増加はここに原点があります。
国会を解散したり、企業がリストラしても一時的にしかよくならないのも、この人を排除する考え方に問題があるからだと感じます。
自問自答は自分を追い詰めますが、自分を責めなければ必ず道は啓けるものです。
日本むかし話→クイズダービーと考えた後には、「8時ダヨ全員集合!」が待ってます。
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ご無沙汰してます。
お忙しそうで何よりです。
私はウロウロして後、結局ダッカ生活にもどりました。
日本昔ばなしは本当に学びが多かったですね。
この国にいて、いつも居心地の悪さを感じるのは、“ひとのせいにする”国民性なんです。国全体がそうなっているせいか、答えとしては排除しかないのでいつも争いがある。
一神教のせいなのかな?とも思うし・・・
八百万を受け入れられるフレキシビリティのある土壌に生まれて良かった!自問自答って大事ですよね!(¨)(..)(¨)(..)ウンウン