民のかまどはにぎはひにけり

見えないものの検証と、庶民のつぶやき(不定期更新)

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自己紹介

抱き茗荷

Author:抱き茗荷
意識の働きや自身のルーツ探しを課題としています。

つぶやき

看板のない豆腐屋さん

師でもないのに走り回る日々にブログの更新が久々となりました。

私と同様に今年はどの店に行っても店員さんがバタバタと走り回っているせわしい一年のように感じました。
どう考えても企業は人を雇わず限られた要員で経済を回そうとしているようで、コスト削減も限界にきているように思えます。

資本主義制度の限界を感じた軍産複合体が、お得意の借金帳消しを狙うきな臭い報道を垂れ流し戦争へ向かわせようとしている最中、今日ラジオで心温まるものを感じるお話がありました。(※政体に取りつかれている方や株の投機をするような方とは無関係の民のお話です)

それは「看板のない豆腐屋」の話。。。

店にとって看板とは、存在そのものを顕示するものであり、新規の顧客を掴む為には必要なツールであります。存在感がない、または信用度や知名度が低い店舗ほど、看板はなくてはならないものです。

その豆腐屋が看板を掲げない理由は特に述べられてはいませんが、私個人の感じたものは以下の通りです。

1.地域住民を相手に商売をしている(儲けが目的では無い)
2.地域住民として「豆腐」を作っている(役割として)
3.美味しい豆腐をつくる事が生きがい

こういった豆腐屋さんは「どこの家がそろそろ揚げを買いに来る」など大体把握しているそうで、無駄に作り過ぎることなく、大企業の様に惣菜を安売りもせずゴミに出すような事もそうないのでは、と思います。(地域の片隅で看板を出さずひっそりと営むこの豆腐屋さんの話を聴いて、公の為に働く戸籍の無い奉公衆の方と重なるものを感じました)

以上の事から感じたことですが、中央集権型から地方分散型への回帰こそが本来の日本を取り戻す気がしてなりません。(“トリモロス”ではねぇ…)

前にも書きましたが一なるものから多なるものへと向かう事が、民のかまどから煙立つ日々を取り戻せる事と強く感じます。H23年3月11日、千引石(ちびきいわ)は解放され、冥界の主プルート(イザナミ)が解き放たれたことにより、古事記の「をみなをことさきだちてふさはず」といった精子(無限遠点=多なるもの)→卵子(無限小点=一なるもの)へ向かう方向性は反転が始まったと感じます。

これが本当に起これば、そのうち師も民も走ることなく年の暮れを過ごせ日々がくるかも…。
これ、ゴイムの希望的観測なのでしょうかねぇ… (^^;)
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