民のかまどはにぎはひにけり

見えないものの検証と、庶民のつぶやき(不定期更新)

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自己紹介

抱き茗荷

Author:抱き茗荷
意識の働きや自身のルーツ探しを課題としています。

つぶやき

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民のかまどより公を想ふ その6

ネトウヨはこのようにして「日本」や「日本的」を濫用する。

ここは日本にも関わらず、だ。
かつてよりこの内部にいるものはこの言葉を使う必要はないし、国旗や国歌にさえ拘る事はない。

例えば、改憲し戦争したがっている者の組織や商品の名前を見てみればわかる。

「日本会議」「My日本」や、日本賛美の書物・番組にはやたらと「日本」が枕詞として使われている筈だ。そしてこれらは近年押し付けがましく我々の眼に止まるようなところに設定されている。

彼らは『お前はそれでも日本人か?!非国民めが!!!』のフォーマットづくりに忙しい。

ただ気づいている者は多くいるようで、“日本賛美番組”と検索ワードを入れるとあとに“気持ち悪い”と出てくる。理屈抜きに体が反応する人は心身統一している証、正常だ。褒め殺しに対する防衛本能が発動している。

かといって左翼系が代替品とはならない。いつの時代もこの両翼はセットでなければ空を飛べない。



共産党の昨今の支持率や、強いる'sといった得体の知れない団体の知名度の急激な上昇がそれを示す。
共産党なんかは常に票や支持率に飢えているので、末端の党員は気持ちが昂揚しアドレナリンどくどくだろう。これで有名芸能人が支持なんかした日にゃますます戦闘的になるのは間違いない。すぐに浮かれるのがこの手の方々の悪癖だ。
『飛行機の胴体』は、この左翼の特徴である“公に認知されるとトランス状態に入る”事を明らかに知ってて仕掛けている。

この“航空会社”だが、今機長に今上陛下を据えようとしている。

本籍定まらない者達の暴走は浮遊霊よろしく霊障を振りまいている。
そんな事で成仏出来ると考えるくらいなら心の居場所を先に見つける事が先だ。

本籍を潰す事に精を出すとは本末転倒である。

続きは後日…

民のかまどより公を想ふ その5

天皇陛下を利用しようとしている連中で有名なのがネトウヨと呼ばれる思想工作員達だ。

以下は私が投げかけた問題提起に対し反応したネトウヨとの会話である。





と、まあこんな調子で自分の考えこそ陛下の本意であると言わんばかりの意味のわからない事を書き連ねていたので、私は以下のように返信した。



言いたかったのは但し書きの後に尽きる。

因みにこのネトウヨだが、以上の私のツィートを仲間に伝えるかの如くリツィートしていたが、最後のツィートだけはそれがなかった。余程目的を阻害するものであったのだろう。

このような輩を的確な言葉で嘲笑しているのが以下のツィート。



右翼の街宣車はつつましく生活している者からすればとてもガラがいいとは思えない。その車体から流れる大音響、そして愛国だの皇道だの書いてあれば皇室のイメージを貶めるのには難くない。もちろん右翼も全てが同じではない。本当に国を憂う志士もいらっしゃる。

ただ本物はそうそう表に出てこない。見ようとしても何らかの計らいが無い限り機会はそうそう訪れない。
皇統奉公衆や舎人といわれる方々は自ら表立って自己顕示はしないのではなかろうか?

偽物や安物は別だ。
特徴として押し付けがましく派手で相手から攻めてくるのだ。訪問販売やNHKに宗教勧誘、ディスカウントショップの看板や広告をみればわかると思う。
しかし面白いもので、偽物や安物には大体シッポが出ている。一例だが、以下の笑顔を「美しい日本」を作る表情とそのまま受け取れるだろうか?



続きは後日…

民のかまどより公を想ふ その4

裏の沙汰とは、任侠ヤクザが激減した事による弊害だ。

恥や美徳といった曖昧なルールにより秩序が保たれ、それらを破った者に対する制裁は厳しいものであったとは思う。
だが、それにより禊は完了し過去は水に流していた。

ところが今はどうだ?裁きは全て情の無い法律というものにより行われている。
この法治国家の確立により、恥や美徳は良心の基準とならない、と勘違いする者が随分と増えた。法律を守っていれば文句を言われる筋合いはない、といった風潮だ。

※こんなのや、

ヨレヨレの文化

こんなのも含む。

ガタガタの内閣人事

ルールという枠の中に嵌められ恥も外聞もないモノが世の中に量産され続けた挙句、道のど真ん中を闊歩する者・パンツ丸出しでスマホをいじる女子高生・ゴミをポイ捨てする輩などが当たり前のように目につくようになった。
さらに、親に手を挙げる子・子を殺す親・弱者から盗みをはたらく者と、恥のかけらもない事件が当たり前に起こっている。
政治に至っては下着ドロボーが大臣になれる始末(税金ドロボーもいっぱいいるが…)



法律を遵守するものは善(神)であり、破るものは悪(魔)という一神教は見事に我が国を染めたのだ。
その排除主義的な思想さえあれば、他国の悪口を拡散するだけで戦争という手段により悪を懲らしめる方へと誘導出来る、戦争屋にとって都合のいい状態となるわけだ。

ただし、戦争屋は事を起こした後罪人扱いされたくないので誰かにそれを被ってもらわなくてはならないと考える。その誰かこそが天皇であろう。

続きは後日…

民のかまどより公を想ふ その3

天皇陛下が世界の禍事の首謀者とする記事がネット内で氾濫し始めている。その記事を主眼として観るならば、これについては私個人は半分嘘で半分本当だと感じる。ただし、事はそんなに簡単には結論付けられるものではないだろう。
論点をすり替えるわけではないが、それよりもなぜ今天皇陛下が貶められようとしているのかを考えてみた方が面白いのではないか?…という事で今回はまずその貶め方の過程をあらわしてみたい。

平成3年、暴対法の施行で、天皇陛下を支える任侠ヤクザは、任侠では無いただの暴力集団と同じ様に捉えられ、法律によって淘汰されつつある。この法律により天皇陛下を取り巻く環境と日本の民の生活は大きく変わったように思う。街中から怖いおじさんが減り、ポン引きやボッタクリバーの話も昔と違い、周囲から聞く機会も減った。最近はまた少しぶり返してきてはいるが、鉄砲玉が飛び交う事件は昔と比べかなり少なくなってきた。あるだけでも脅迫されているかのように感じた代紋つきの豪邸もほとんど見る事はなくなり、我が国はこの法律の施行以降、完全に法治国家となり、弁護士や医者・企業が幅を利かすようになってきた。

まだまだ追い込みは続く。天皇に所縁の深い相撲にもメスが入った。
平成22年 野球賭博に関わっていた力士の摘発、平成23年 八百長問題の発覚、と、とうの昔から知る人ぞ知る行為が今さらながら表沙汰にされてしまった。(八百長については、私自身が元力士の方から直接内情を聞いている)。やむなく日本相撲協会は「暴力団等排除宣言」を出さざるを得ない事態に陥った。(次は、天皇杯・○○宮杯、とある競馬・競艇・競輪あたりがターゲットかもしれない)

ほんの一部であるが、以上の様な事が表沙汰となり、任侠ヤクザは一神教の毒に冒されてしまった日本人のなかで完全に悪人となったのだ。

しかし表の沙汰があるのなら、裏の沙汰もある。

続きは後日…

※以下の二番は正真正銘のガチ相撲



民のかまどより公を想ふ その2

先回の続き…

誤解して欲しくないのはまず「任侠ヤクザ」と「マフィア」は違うということを前提にしていただきたい。

任侠とは字の如し、侠(おとこ)を任せられた存在。
侠(おとこ)とは、純朴に生活する女と子供の命を命がけで養い育み守るのが本来のおつとめであると個人的には解釈している。なので任侠ヤクザなんて少なくはなったがどこでもいるわけだ。○○組とか○○会とか組織だったものだけをを指すのではない。
(画像は鬼龍院の任侠さん)

鬼龍院花子の生涯


歳を召された方は理解出来ると思うが、昔はそこかしこに“怖いおじさん”が点在していた。

収集のつかない夫婦ケンカがあれば仲裁に入り事を治めたり、卑怯な事をする思春期の少年などに鬼の如く叱りつけるなど、各集落の治安はこの“怖いおじさん”により守られ警察沙汰になるなんて事はそうなかったのではないだろうか。
憲法や法律といった基準に頼らず、智恵で解決するみちを古来の日本人は知っていたし観念的に教えられてきた(その観念とは、『恥』が基準であるかと思う)。

もちろんこの一集落の怖いおじさんも一人の人間、全てのスジが通っているわけではないし、過ちも犯す。
そうなると次は恐ろしいおじさんが登場して諌めにかかる。怖いおじさんもタダモノではないので諌めるには多少エネルギーが必要となる。エネルギーとして、金・妾・権力など俗世の極みを用意し解決の手段として活用する。
これはスジの通ったやり方ではないかもしれないが、民の安寧を守る為に自分の信念をすり減らしたのだ。このように、吾(あ=我)を減らす行為を『和える=あへる』との解釈を聞いた事があるが間違いないと思う。
※ちなみに相手を減らそうとすると、汝(な)減る=萎えるという。

それでも事が解決しない場合はさらに恐ろしいおじさん達を渡り、最後御前と呼ばれる方が頼る所こそ天皇陛下であろう。
“恐ろしい”から“畏れ多い”へと変化する。
天皇陛下が畏れ多いのは、吾減るというエネルギーを消耗する事案を引き受けられているにも関わらず、悠然としているところにあると思う。

その天皇陛下が今やネットで陰謀論の主であるかのように叩かれている。

続きは後日…



※もちろん排気音と0:54~は編集、でもワロタ。

(3月8日追記)
行政調査新聞の『破壊される「日本の本質」――じわりと迫る「日本の危機」に、どう対処すべきか――』と類似した記事であることに本日気づきました。が、決してパクりではありません(笑)
こちらの方がより詳しく書かれてますのでご一読ください。

民のかまどより公を想ふ

生き急ぐかの如く仕事も遊びも健康管理も実践段階に入っており、ネットに関わる時間が激減してしまい久々の更新となった。

今日は少し天皇陛下について心に思っていた事の一部を書こうと思う。
デリケートなテーマではあるが、主観なので気に留めないでいただきたい。また知的階級に属する方はスルーした方が無難だ。

天皇陛下については神秘の存在で、世間では、どこぞの宗教信者のように敬愛される方もおられれば、各陰謀の主犯のような扱いをされる方もおられる。俗に前者は「右翼」と括られ、後者は「左翼」と呼ばれた時代があった事を記憶する。現在では解釈は変わってきているかもしれないが大したことでは無い。右翼も左翼も同じ胴体である事には変わりはないのだ。この胴体の正体こそがジャーナリズムといわれるもので、日本人の大半はこれに魂を乗っ取られている事に気づいていない。シオンの議定書を読んでいても知識として知っているだけで腑に落ちていない陰謀論者は意外と多い。そのジャーナリズムと世に蔓延る善悪二元の一神教の毒をまず捨てていただかなければ私が言っている事は意味がわからないかもしれない。

まず天皇陛下とはどんな存在か?と問われれば、無礼を承知で私ならきっとこう言うだろう。

任侠ヤクザ最強の親分だと思います」と。

続きは後日…

【動画】天皇陛下が皇居で稲刈り 大雨被害に心痛められ(15/09/11)



時間からの解脱

ふくいちがエラい事になっている。



(8/9追記) ↑ これ消されました、代わりに壊霧載せときます。

トリチウ霧


勤務地付近の山々も靄で覆われ山の端を見られる事が少なくなった。

上記(蒸気?)の動画の現象により、湿度も高い。
この蒸気を「海霧だ!」といいきる者もいるが、そんな事をいう奴は工作員か、嫌な事から目を背ける逃避癖のある奴だ。

蒸気であるといいきれるのは私が鉄を扱う仕事に従事しているからだ。
例年なら1週間ほどはほったらかしても良かった加工品、今年は3日もせず錆びるのだ。
おかげで錆び取りという煩わしい仕事が増えてきた、今年はKURE 5-56が売れるかもしれないw

原発の蒸気が来ているという事は勿論被曝しているであろうから、これまでの様に“人生80年”というわけにはいかないだろう。

飯山一郎さんとこの掲示板を見ていると、子供を守ろうと必死なお母さんぽい方々からの智恵による助けを求めるような投稿が目立ち始めた。

命を守る事、健康でい続ける事に必死になるのはとても大事な事だ。

しかしだ、それに執着し続ける事だけでは生きてる意味はない。
人生は楽しみ苦しみ多くの経験を積まなければ積まらないではないのではないか、と思うのだ。

生きることへの執着を産み出すのは恐らく時間の概念からであろうと個人的には考える。

「我が子は何歳まで生きるべき」が子供を持つ親の中にきっとあるはずだ。
時間という思い込みの中に寿命の押し付けが湧いているのではないかという事だ。

確かに我が子が親より先に死ぬことなど考えたくもないしあってはならないと人の親なら考えるだろう。私だってそうである。
しかし、それは親のエゴかもしれないとも思うようになってきた。

同じ1日でも退屈な時もあれば充実して終わる時もあるように、24時間は同じでは無い。
それならば自分自身にも我が子にも多くの充実した機会を与える為に日々を過ごしていきたいと考えている。

その手段としての「健康を守る」「金を稼ぐ」でなければ充実した1日、人生は送れない。
我が身を生かすために口に何かを放り込む、では自分自身を家畜化している。


しかしながら、自分が生きている間にこんな時代が来るとは思っても見なかった。
しかも御先祖様や世界の殆どの人たちが経験した事のない事態だ。
だからこそ、この修羅場、腹を括って充実した時間の中で笑いながら生きてやるのである、悔いのないよう…。

晩節の穢れ


無題2


永遠の犬2

イシャの仕組み

相手の前で無知を装い相手を増長させ最後にボロを引き出す事がネット内のケンカでよく見受けられる。
私自身駆け引きは信用を落とす上、めんどくさくて好まないのだが、これを最近使った。

相手は元々信用していない医者というヤツだ、しかもメンタル専門。

異動先の部署にこのメンタルがやられている者がいて上司として付き添わなければならなくなったのである。
私はこの精神科医といういかがわしく禍々しい職業の場に乗りこむ機会を得た事で、何を考えているか探りたくなった。
そこで私はアホを装い“先生”のお話を“拝聴”する事にした。目を合わせて口を半開きにしてまるで新興宗教の信者の如く振る舞った。

精神科医といっても、所詮大したカウンセリングも出来ず薬で暫定処置しかできないようなのばかりなので、私の下手な演技にも気づかず、正気ではない事をベラベラとのたまっていた事を覚えている。

この精神科医が言うには、治療は3年前ほどが初診だという。そして前は1年ぶり、そして半年ぶり、そして1週間ぶりと来院しているとの事。要は、悪化しているのだ。

なのに、よくもまあ、こんな事を言えるものだと思う。しかしながら、恐らくここでそれを言ったら「最終的には患者自身が完治させる気があるかないか」とか言うのだろう。

現在の部下の状態であるが、不安を感じてドキドキするたび、1日1錠しか飲んではいけない薬をドキドキするたび飲んでいるとの事、薬物依存である。勿論就業不可。

このメンタルクリニックだが繁盛していた。恐らく患者は禁断症状を抑えに来ているのだろう。

医者が処方する薬は、死ぬまでのプロセスの中で薬で症状を抑えながら少しずつ弱らせるように出来ていると感じる。飲む事で症状を発生させるものもあり、薬を飲む事で効いたような気がする、逆のプラセボ効果を産み出しているような気がするのだ。
薬をもってして症状が抑えられている状態なのであたかも薬が効いたような気がするわけだが、薬は複数処方されており必ずその中に病状を悪化させるものがあるのではと疑っている。

私は科学者では無いので予想で書いているが、もし医者でこのブログを見ている方がおられたら、私の様なB層サラリーマンさえもこのような疑いをかけている事に気づいていただきたい。

B層に気づかれたら、マクドナルドやすき家、ワタミのようになる事は間違いないだろう。商売続けたければ処置ではなく治療をする時代に入っていると思うがいかがだろうか?

直感の備忘録

今年に入り初の更新です。

個人的には前からそれほど時間が経ったようには思えませんが、世の中は恐ろしいスピードで動いているようです。なぜか全てが人ごとのように感じます。明らかに自身が浮世離れしていっているのが体感出来ます。

客観視そのものです。軸が世間とずれてきたのです。


アセンションしたかもしれませんw


と、2012年的ジョークはここまでで、自分自身が世間から離れていっているのは、理屈抜きに政治経済・時事問題に云々する事に意味を感じなくなってきたからでありましょう、たぶん。

また、私は最近食べるわけでもないのに茗荷を庭に植え何かを残すかのような行動をとっていました。この行動をふと我に返り本日キーボードを叩く事と相成ったわけです。

なんとなくですが、世界は絶滅とは違う何かの時間切れが近づいているような気がします。
まあ、なんとなくですからね。予言者じゃないんでw

時間の概念が変化するような気がしただけです。

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