民のかまどはにぎはひにけり

見えないものの検証と、庶民のつぶやき(不定期更新)

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自己紹介

抱き茗荷

Author:抱き茗荷
意識の働きや自身のルーツ探しを課題としています。

つぶやき

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Un Happy New Year?

あけましておめでとうございます、と素直に言えない。
なぜなら今年は福島原子力発電所が爆発して丸5年を迎えるからだ。

ここに来られる方はもうご存知かと思うが、旧ソ連時代、チェルノブイリ原子力発電所が核爆発を起こしそれが人体に影響を及ぼし顕現し始めたのが約5年後だ。

それが原因でこれからの日本人は生き方が何通りかに分離し、それぞれが違う次元に向かい、その次元は余程の事が無い限り交わる事は無いと思う。

自分とは異次元に向かわれた方を諭そうが何しようがもう手遅れだ。5年間何もせず何事にも気づかず無関心のまま過ごされた方、または恐れに正面から立ち向かわなかった者に施す薬はないに等しい。

私自身は上記のような方達を否定する気は毛頭ないし馬鹿にするつもりもない。
それはその次元の者達の生き方であり、長生きよりも太く短く楽しく生きる次元があってもいいからだ。眉間にしわ寄せながら長生きしたくない方もきっといるだろう。でも、調子が悪くなってから『聞いてないぞ!』なんて言った日にゃこっちは知ったこっちゃないヨw

これからの混沌とした時代を帆をあげて悠然と進んでいくには、自分自身のいまを結果としてとらえ受け入れる事が重要だ。この心を作るには自力本願独立自尊に尽きる。依存する者は必ず裏切られるという事を分かっていれば憤慨する事もないでのだろうが、外部に期待する者がここまでの強さを持っている事は稀だと思う。

これから多くの方達が混沌や異変に気付く事だろう。そして自分自身にも禍事に見舞われる確率は上がっていくと思われる。そうなったときの二段三段の構えをしておかなければこれからの世をくぐりぬけていく事は出来ない。自力を心身共に付ける事が大切だ。

サバイバルは物的なものだけではなく心にも構えが必要な時代に入る。覚悟を決めれば後は笑って過ごせばよい…と自分に言い聞かせて年始の挨拶としたい。

異形の王権

ブログ「人生は冥土までの暇潰し」の亀さんから先回の記事に対するコメントをいただいて異形の王権という本を薦められたので早速取り寄せようとamazonを見ていた。

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著者の網野善彦 氏の他の著書を眺めていたところ、中世の非人と遊女というのが妙に気になり、レビューを見てみると大変興味深いコメントが寄せられていたので引用させていただくことにした。

以下引用

この1冊を通して漠然と知ったのは、そういった人々が実は「穢れを払う」立場にいたこと。また、やはり定住せずに遍歴して生業を営んでいたこと。その場合、滞在するところは河原などの「無所有」の場。そういったところは「聖なる場所」と見なされていた、と言う。そして、穢れを払う彼らは、聖なる存在として認識されていたとも言う。そして同時に、それゆえに畏れられていたと言う。このことが聖別となり、後の差別に変わっていった要因のようだ。しかし、穢れを清める立場にいたが故にそれが畏れの対象となり、次第に忌避、排除の対象となっていくというのは悲しい話だ。

古代国家の制度が崩壊し始め、それらに変わる新たな時代が到来しつつあった時期に、職能集団としての彼らが誕生し、一時期は時の権力者によって制度的に組み込まれていたのは確かなようだ。それが鎌倉時代末から南北朝時代に入り、大きくなっていく過程で職能分化していった。分化した中で対立が起こり、穢れを忌避する観念が社会に浸透し、賤視・差別へと結びついていったと言う。あまりにも奥深い問題で、私には表面的なとらえ方しかできなかった…。


引用ここまで

審神・祓いの分野に興味のある私は、こちらにも大いにそそられた。
特に祓いとは、忌み嫌うとこでありながら人の避けられない業であるからだ。それは現代に於いては“不”の称号が与えられるものばかりであり負のイメージに覆われている部分である。
この業と向き合い和解するところに生きている意味さえ感じてしまうのだ。

非人や遊女の生きざまを普段の生活から窺い知れる事は今の世ではなかなかできない。
この隠れた部分に我が国の真実の一部が隠されていると私の尊敬する方々は一様に言う。

来年はここに焦点を当てていこう。

世の中が世の中だ。まずは健康第一、元気が無ければ本も読めない。
この世から“去る”歳にならないようにせねば…。

海洋民族に想いを馳せる

世の中どんな大学に行こうが、高度な勉強をしようが解決できない不思議な事があるものだと以下の画像を見て思う。
相似象
地名は私が付けたのだが、あっているかどうかなんて誰もわからない。
まあ、今日は波も無かったので暇潰しに作成、私が通う伊良湖の海は冬になると北西の風が波を抑え海が静かになるのだ。

その伊良湖だが、渥美半島先端に伊良湖神社というのがある。

伊良湖神社

由緒書き

由緒書きを見ると、伊良久大明神(いらくだいみょうじん)と書かれてある。
そこで先程の世界地図を見ていただいてもらうとわかるが、愛知県はイラクに位置しているわけで、「これは偶然か?!」と考えさせられたが、これについては解く事をひとまず諦める事にした。

それよりも、気になったのは元旦の「ごせんだら祭」である。以下、田原市観光ガイドより引用。

ルーツは海洋民族の儀式?

 大晦日から元日の早朝にかけて、伊良湖神社の境内で行われる火祭り。人々は、昔からこの祭に豊漁や無病息災などを祈ってきました。古くから伊勢・三河の海を駆け回っていた阿曇(あづみ)氏、海部(あまべ)氏といった海洋民族の原始的な儀式がルーツではないかといわれています。「せんだら」というのは、サンスクリット語で「南方印度(天竺)の賎民」を意味するといわれ、祭の名前からも、潮風にのり海を越えてやってきた海洋民族の名残を感じることができます。


せんだらとは「旃陀羅」と書き、日本の中世の一時期、被差別民にたいする呼称として使われていた語との事。
かつて、我が国の民族のルーツについて、さる筋より「被差別部落を知らねば解く事は出来ない」と聞いた記憶があるし、落合莞爾さんの本にも似たような事が書いてたかのように思うが、未だ整理がついていないのが現状だ。

今後の課題にしていこう。

<賎民についての参考文献>

喜田貞吉「賤民概説」
(青空文庫ボランティアの方々に敬意を表します)


民のかまどより公を想ふ その7

以上長々と公の事について述べさせてもらった。

半分以上は主観で記したものであり、真実を探りに来た方にはいささか物足りないものであったに違いない。舎人の方々、他関係者から聞いている『真実』については到底ネットで公に出来るものではないし、私自身が当事者でないのでそれを真実だと伝える事は差し控えたい。

それらは短期的に考えれば皇室を悪と捉える事も出来るしその逆もある。ただし、生まれてきて学校教育やマスメディアに刷り込まれた脳味噌の構造を完全に除去されてでもいない限り、その深奥の世界の隅を箸で突く様な事は公の場ではしない方がよい。せいぜい私の様に自分だけの土俵でひとり相撲を取るのがいいかと思う。

そんな大した事も知らない私が天皇陛下をなぜ誇りに思うか?
滅多な事では言挙げしない天皇陛下だが、私自身は所作や行動、実践でしか人を見ない。
言葉や文章というものは、その殆どが自らが抱えるコンプレックスや弱点を補う為に用いる手段であり信頼性は薄い。

今や嘘を振りまき官邸の犬となりつつあるマスメディアだが、画面に映った現象は嘘をつけない。その画面に映った政体と国体の違いを比較してみよう。

まずはゆるキャラなみの頭身でご登場の政体

実害を防止しながら風評被害を防止

次は、福島も体もアンダーコントロールに問題を持つ政体

実害を防止しながら風評被害を防止2

次は、捨て身の風評払拭



お次は国体側の仮設住宅訪問

仮設住宅にて民とのふれあい

避難所にて

避難所にて

天皇皇后両陛下の国民との距離、いつ暴漢に襲われるかわからないにも関わらず警護を両端に置かず、丸腰で民と同じ目線で接する御姿に何の嘘も感じない。

かたや政体側、「首相 福島 視察」で検索してみればわかる筈、相手出来るのは官ばかり。
そりゃそうだ、民を見捨てる政治しかやっていないのだから民の眼を正面から見られるわけがない。暴言でも吐かれればイメージダウンにもつながる(もうダウンしてるか…)

国体を護持すべく、皇室は今盛んに行動している。
ただ皇室は強要しないし支配もしない。選択肢は全て民の側にある。天皇陛下という存在をどう見るかがその人そのものだ。頂点に君臨する存在ではなく、魂の中にあるといってよい。だから本籍であると前項で述べさせていただいたわけである。

天皇陛下は人に違いないが、御神体の鏡と同じであるといっても過言ではない。そしてその存在をどう見るかがその人そのものであるわけだから公民一体なのだ。

私はこの考えを押し付けるつもりはないが、国体潰しの総仕上げが始まっているわが国を憂うが為、問題提起を含めつらつらと書かせてもらった。

以上、駄文ではありましたが、最後まで読んでいただいた方、有難うございます。

民のかまどより公を想ふ その6

ネトウヨはこのようにして「日本」や「日本的」を濫用する。

ここは日本にも関わらず、だ。
かつてよりこの内部にいるものはこの言葉を使う必要はないし、国旗や国歌にさえ拘る事はない。

例えば、改憲し戦争したがっている者の組織や商品の名前を見てみればわかる。

「日本会議」「My日本」や、日本賛美の書物・番組にはやたらと「日本」が枕詞として使われている筈だ。そしてこれらは近年押し付けがましく我々の眼に止まるようなところに設定されている。

彼らは『お前はそれでも日本人か?!非国民めが!!!』のフォーマットづくりに忙しい。

ただ気づいている者は多くいるようで、“日本賛美番組”と検索ワードを入れるとあとに“気持ち悪い”と出てくる。理屈抜きに体が反応する人は心身統一している証、正常だ。褒め殺しに対する防衛本能が発動している。

かといって左翼系が代替品とはならない。いつの時代もこの両翼はセットでなければ空を飛べない。



共産党の昨今の支持率や、強いる'sといった得体の知れない団体の知名度の急激な上昇がそれを示す。
共産党なんかは常に票や支持率に飢えているので、末端の党員は気持ちが昂揚しアドレナリンどくどくだろう。これで有名芸能人が支持なんかした日にゃますます戦闘的になるのは間違いない。すぐに浮かれるのがこの手の方々の悪癖だ。
『飛行機の胴体』は、この左翼の特徴である“公に認知されるとトランス状態に入る”事を明らかに知ってて仕掛けている。

この“航空会社”だが、今機長に今上陛下を据えようとしている。

本籍定まらない者達の暴走は浮遊霊よろしく霊障を振りまいている。
そんな事で成仏出来ると考えるくらいなら心の居場所を先に見つける事が先だ。

本籍を潰す事に精を出すとは本末転倒である。

続きは後日…

民のかまどより公を想ふ その5

天皇陛下を利用しようとしている連中で有名なのがネトウヨと呼ばれる思想工作員達だ。

以下は私が投げかけた問題提起に対し反応したネトウヨとの会話である。





と、まあこんな調子で自分の考えこそ陛下の本意であると言わんばかりの意味のわからない事を書き連ねていたので、私は以下のように返信した。



言いたかったのは但し書きの後に尽きる。

因みにこのネトウヨだが、以上の私のツィートを仲間に伝えるかの如くリツィートしていたが、最後のツィートだけはそれがなかった。余程目的を阻害するものであったのだろう。

このような輩を的確な言葉で嘲笑しているのが以下のツィート。



右翼の街宣車はつつましく生活している者からすればとてもガラがいいとは思えない。その車体から流れる大音響、そして愛国だの皇道だの書いてあれば皇室のイメージを貶めるのには難くない。もちろん右翼も全てが同じではない。本当に国を憂う志士もいらっしゃる。

ただ本物はそうそう表に出てこない。見ようとしても何らかの計らいが無い限り機会はそうそう訪れない。
皇統奉公衆や舎人といわれる方々は自ら表立って自己顕示はしないのではなかろうか?

偽物や安物は別だ。
特徴として押し付けがましく派手で相手から攻めてくるのだ。訪問販売やNHKに宗教勧誘、ディスカウントショップの看板や広告をみればわかると思う。
しかし面白いもので、偽物や安物には大体シッポが出ている。一例だが、以下の笑顔を「美しい日本」を作る表情とそのまま受け取れるだろうか?



続きは後日…

民のかまどより公を想ふ その4

裏の沙汰とは、任侠ヤクザが激減した事による弊害だ。

恥や美徳といった曖昧なルールにより秩序が保たれ、それらを破った者に対する制裁は厳しいものであったとは思う。
だが、それにより禊は完了し過去は水に流していた。

ところが今はどうだ?裁きは全て情の無い法律というものにより行われている。
この法治国家の確立により、恥や美徳は良心の基準とならない、と勘違いする者が随分と増えた。法律を守っていれば文句を言われる筋合いはない、といった風潮だ。

※こんなのや、

ヨレヨレの文化

こんなのも含む。

ガタガタの内閣人事

ルールという枠の中に嵌められ恥も外聞もないモノが世の中に量産され続けた挙句、道のど真ん中を闊歩する者・パンツ丸出しでスマホをいじる女子高生・ゴミをポイ捨てする輩などが当たり前のように目につくようになった。
さらに、親に手を挙げる子・子を殺す親・弱者から盗みをはたらく者と、恥のかけらもない事件が当たり前に起こっている。
政治に至っては下着ドロボーが大臣になれる始末(税金ドロボーもいっぱいいるが…)



法律を遵守するものは善(神)であり、破るものは悪(魔)という一神教は見事に我が国を染めたのだ。
その排除主義的な思想さえあれば、他国の悪口を拡散するだけで戦争という手段により悪を懲らしめる方へと誘導出来る、戦争屋にとって都合のいい状態となるわけだ。

ただし、戦争屋は事を起こした後罪人扱いされたくないので誰かにそれを被ってもらわなくてはならないと考える。その誰かこそが天皇であろう。

続きは後日…

民のかまどより公を想ふ その3

天皇陛下が世界の禍事の首謀者とする記事がネット内で氾濫し始めている。その記事を主眼として観るならば、これについては私個人は半分嘘で半分本当だと感じる。ただし、事はそんなに簡単には結論付けられるものではないだろう。
論点をすり替えるわけではないが、それよりもなぜ今天皇陛下が貶められようとしているのかを考えてみた方が面白いのではないか?…という事で今回はまずその貶め方の過程をあらわしてみたい。

平成3年、暴対法の施行で、天皇陛下を支える任侠ヤクザは、任侠では無いただの暴力集団と同じ様に捉えられ、法律によって淘汰されつつある。この法律により天皇陛下を取り巻く環境と日本の民の生活は大きく変わったように思う。街中から怖いおじさんが減り、ポン引きやボッタクリバーの話も昔と違い、周囲から聞く機会も減った。最近はまた少しぶり返してきてはいるが、鉄砲玉が飛び交う事件は昔と比べかなり少なくなってきた。あるだけでも脅迫されているかのように感じた代紋つきの豪邸もほとんど見る事はなくなり、我が国はこの法律の施行以降、完全に法治国家となり、弁護士や医者・企業が幅を利かすようになってきた。

まだまだ追い込みは続く。天皇に所縁の深い相撲にもメスが入った。
平成22年 野球賭博に関わっていた力士の摘発、平成23年 八百長問題の発覚、と、とうの昔から知る人ぞ知る行為が今さらながら表沙汰にされてしまった。(八百長については、私自身が元力士の方から直接内情を聞いている)。やむなく日本相撲協会は「暴力団等排除宣言」を出さざるを得ない事態に陥った。(次は、天皇杯・○○宮杯、とある競馬・競艇・競輪あたりがターゲットかもしれない)

ほんの一部であるが、以上の様な事が表沙汰となり、任侠ヤクザは一神教の毒に冒されてしまった日本人のなかで完全に悪人となったのだ。

しかし表の沙汰があるのなら、裏の沙汰もある。

続きは後日…

※以下の二番は正真正銘のガチ相撲



民のかまどより公を想ふ その2

先回の続き…

誤解して欲しくないのはまず「任侠ヤクザ」と「マフィア」は違うということを前提にしていただきたい。

任侠とは字の如し、侠(おとこ)を任せられた存在。
侠(おとこ)とは、純朴に生活する女と子供の命を命がけで養い育み守るのが本来のおつとめであると個人的には解釈している。なので任侠ヤクザなんて少なくはなったがどこでもいるわけだ。○○組とか○○会とか組織だったものだけをを指すのではない。
(画像は鬼龍院の任侠さん)

鬼龍院花子の生涯


歳を召された方は理解出来ると思うが、昔はそこかしこに“怖いおじさん”が点在していた。

収集のつかない夫婦ケンカがあれば仲裁に入り事を治めたり、卑怯な事をする思春期の少年などに鬼の如く叱りつけるなど、各集落の治安はこの“怖いおじさん”により守られ警察沙汰になるなんて事はそうなかったのではないだろうか。
憲法や法律といった基準に頼らず、智恵で解決するみちを古来の日本人は知っていたし観念的に教えられてきた(その観念とは、『恥』が基準であるかと思う)。

もちろんこの一集落の怖いおじさんも一人の人間、全てのスジが通っているわけではないし、過ちも犯す。
そうなると次は恐ろしいおじさんが登場して諌めにかかる。怖いおじさんもタダモノではないので諌めるには多少エネルギーが必要となる。エネルギーとして、金・妾・権力など俗世の極みを用意し解決の手段として活用する。
これはスジの通ったやり方ではないかもしれないが、民の安寧を守る為に自分の信念をすり減らしたのだ。このように、吾(あ=我)を減らす行為を『和える=あへる』との解釈を聞いた事があるが間違いないと思う。
※ちなみに相手を減らそうとすると、汝(な)減る=萎えるという。

それでも事が解決しない場合はさらに恐ろしいおじさん達を渡り、最後御前と呼ばれる方が頼る所こそ天皇陛下であろう。
“恐ろしい”から“畏れ多い”へと変化する。
天皇陛下が畏れ多いのは、吾減るというエネルギーを消耗する事案を引き受けられているにも関わらず、悠然としているところにあると思う。

その天皇陛下が今やネットで陰謀論の主であるかのように叩かれている。

続きは後日…



※もちろん排気音と0:54~は編集、でもワロタ。

(3月8日追記)
行政調査新聞の『破壊される「日本の本質」――じわりと迫る「日本の危機」に、どう対処すべきか――』と類似した記事であることに本日気づきました。が、決してパクりではありません(笑)
こちらの方がより詳しく書かれてますのでご一読ください。

民のかまどより公を想ふ

生き急ぐかの如く仕事も遊びも健康管理も実践段階に入っており、ネットに関わる時間が激減してしまい久々の更新となった。

今日は少し天皇陛下について心に思っていた事の一部を書こうと思う。
デリケートなテーマではあるが、主観なので気に留めないでいただきたい。また知的階級に属する方はスルーした方が無難だ。

天皇陛下については神秘の存在で、世間では、どこぞの宗教信者のように敬愛される方もおられれば、各陰謀の主犯のような扱いをされる方もおられる。俗に前者は「右翼」と括られ、後者は「左翼」と呼ばれた時代があった事を記憶する。現在では解釈は変わってきているかもしれないが大したことでは無い。右翼も左翼も同じ胴体である事には変わりはないのだ。この胴体の正体こそがジャーナリズムといわれるもので、日本人の大半はこれに魂を乗っ取られている事に気づいていない。シオンの議定書を読んでいても知識として知っているだけで腑に落ちていない陰謀論者は意外と多い。そのジャーナリズムと世に蔓延る善悪二元の一神教の毒をまず捨てていただかなければ私が言っている事は意味がわからないかもしれない。

まず天皇陛下とはどんな存在か?と問われれば、無礼を承知で私ならきっとこう言うだろう。

任侠ヤクザ最強の親分だと思います」と。

続きは後日…

【動画】天皇陛下が皇居で稲刈り 大雨被害に心痛められ(15/09/11)



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